ヴィア・ドロローサ、ベツレヘム、考古学公園 元祖バイブルランド(イスラエル)⑦
3月11日 この日も雨が降っていた。期待の考古学公園だったので、写真を撮ろうと思ったら、デジカメに電池が入っていなかった。このささやかな不幸の日が、日本の壊滅的な不幸の日になろうとは、この時は、もちろん夢にも思わなかった。最初は、シアタールームで、発掘の様子を勉強した。予め「聖書の発掘物語」を読んでいたので、例えば、ロビンソンアーチなども、ロビンソンの人となりを知っていたのは、強みだった。ロビンソンは言語学者で、多くの聖書の土地を特定した学者である。彼がアーチの基部を発見した時は、ギリギリまで埋まっていたらしい。次は、城壁ウォークだった。目の前はケデロンの谷やオリーブ山などが見えて、絶景だった。ここで一番期待していたのは、Hulda double(western)gatesの痕跡だった。回り込んだら、すぐに分かった。これは、イエスが通ったに違いない門の跡なので、これを発見した時は、とても興奮した。フィルダ門に登る階段の存在は知っていたのだが、現場に行くと、大きな階段になっていた。月面到着したアームストロングが、月面の一歩よりも感動したという階段は、確かに立派に存在していた。面白いことに、イチニー、イチニーという不思議なリズムの階段だった。ちなみに、聖地としてのパワーを一番に感じたのは、イエスが歩いたであろう、この階段だった。
ロビンソンアーチの下は、2000年前の歩道とストアの跡が発掘されていた。また、時代は分からないが、立派なミクベも発掘されていた。この時実は、客の一人が体調を壊し、引率がここから、ガイドのトモコさんだけになった。そこで、AからCのグループで、自己点検することになった。昨日は見ただけで通過した、「嘆きの壁」こと西壁を見学した。西壁は、本当は「喜びの壁」と言うべき壁で、その証拠にここで新婚のカップルが祝っていた。自分も、おねだりして、祝いの写真を撮らせてもらった。いよいよ西壁である。ヘロデの造った石壁に手を置いて祈ったのだが、本能的に帽子を脱いでしまったので、注意されてしまった。そこで、改めてキッパを借りて、ついでに紙に「世界平和」を書いて、壁の窪みに差し込んで、三大宗教が仲良くなるように、真剣にお祈りしてきた。ここから、いよいよ西壁トンネルツアーに参加した。ここにはヘロデによって造られた立派なアーチがある。「上の町」と「神殿の丘」とをつないだアーチらしい。19世紀にロビンソンがトンネルを掘って発見したものだが、見学の途中で、ヘロで王の建築の様子を見せるアニメがあって、面白かった。トンネルの途中には、とてつもなく大きな岩があり、建築の凄さを改めて感じた。本来は、このままトンネルを抜けて、ヴィア・ドロローサを歩く予定だったが、シャバット(安息日)の準備で出口が閉鎖されていた。結局、西壁まで戻り、アラブ人地区やアルメニア人地区など横断して、やっとスタート地点へ戻った。もともとヴィア・ドロローサは、キリスト教徒のテーマパークだと割り切って、深く調べていなかった。最初の場所は、Ⅱの鞭打ちの教会だったらしい。なかなか素朴な感じの、良い教会だった。同じ敷地内に有罪判決の教会というのもあり、ステンドグラスが、それらしく落ち着いた感じだった。道の対面がⅠのアントにア要塞だか総督官邸跡だったらしい。すぐ隣が、エッケ・ホモ教会だった。アーチを見る間もなく、中に入る。何だか、教会らしくない建物だ。ここで一番感動するのは地下にある2000年前の本当のヴィア・ドロローサである。古色蒼然とここのことだろうか。滑り止めのギザギザはあるが、全体的にはつるつるしている感じだった。ここに、十字架を背負ったイエスの絵があった。数少ないイエスの遺跡の一つで、ヴィア・ドロローサでは、一番感激した場所だった。
『春雨や ヴィア・ドロローサは しずしずと』(昔の道は つるつるとして)
Ⅲが最初に倒れたとされた所だが、ここの近くに、オーストリアン・ホスピスというオーストリアの宿泊施設に入らせてもらった。目的は、ここの屋上からの眺めだった。左に黄金のドーム、正面にはこれから向かう聖墳墓教会のグレーのドームが見え、言葉には言い尽くせないエルサレム旧市街の眺めだった。ヴィア・ドロローサはアラブ人地区にあるので、ここをぞろぞろ歩くのは、観光としては悪くないが、ステーションを、ただ話を聞いて、写真を撮るだけで、次々に移動するのは、感動的にはいまいちだった。聖墳墓教会に入る前に、エチオピア教会を訪ねた。簡素な教会だったが、シバの女王伝説の画が誇らしげに飾られていた。いよいよ最後の聖墳墓教会へ向かった。十字軍時代の雰囲気を残す教会だが、人が多いので何となく落ち着かない。中に入ると、見覚えのあるⅹⅢの塗油の石が見えていた。とりあえずここは後回しにして、右に階段を登りゴルゴダの丘へ行った。
ゴルゴダの丘は、十字架が立てられて、イエスが息を引き取ったとされている場所だ。もっとも、ロビンソンによれば、后母へレナのきまぐれで決定された十字架の場所と葬られた場所だという。しかし、1600年もの歴史を積み重ねれば、それなりの歴史の重みがあるのも事実で、なかなか荘厳な感じだった。ここで、一番に宗教的なエネルギーを感じたのは、イエスの墓だった。正式な墓への参拝は、時間がかかるので、トモコさんのアドバイスで、コプト教のチャペルで参拝した。手で探ると、赤っぽい斜めの石があり、その先に白いイエスの石棺の一部を確認することができた。遺跡ではないが、伝承の重みは、ひしひしと感じることが出来て、満足だった。昼食は、アルメニア地区のアルメニア料理だったが、実質は食後のコーヒーやミントティーも含めて、アラブ料理そのものだったが、ケバブは美味しかった。この頃、日本で巨大地震が起こったニュースを耳にした。不安な気持ちだった。午後は、いよいよベツレヘム参拝だ。最近、ベツレヘムは世界遺産への申請をしたそうだ。西岸地区では、貴重な観光資源なので、入るのも歓迎しているのだろう。アラブのバスに乗り換えることなく、行くことができた。それでも、ゲートには武器を持った女性兵士がいて、いやが上でも、緊張感が走った。分離壁は、部外者には気分の良いものではないが、トモコさんによれば、リーダーは国民の命を守る責任があるからだ、とのことだった。壁の「内側」にはベルリンの壁のような「落書」も見られた。やがて、向うにパレスチナ富士のヘロデオンが見えていた。歴史的には、第二次ユダヤ戦争のヒーロー、バル・コホバの最後の根拠地でもあった場所だ。駐車場から、アラブの街を、ダラダラと緩い坂を登って、生誕教会へ行った。生誕教会は、まさに砦そのもので、がっしり構えているような感じだった。ここは、大人気で、大行列が出来ていたのだが、ここに突然、大音響が鳴り渡った。タテマエはイスラム教の勧誘、ということだが、要するに日本で言えば、右翼の街宣の大音響と同じで、単なるイヤガラセでしかなかった。こんなことをするようでは、イスラム教も底が浅いとしか思えない。たぶん、ムハンマドも嘆いているのではないだろうか。教会の入口は、昔は馬でも通れる大きさだったらしいが、今では茶道のにじりくち、のように狭く、屈んで入った。中も大混雑で、真っ暗い中を長時間並ぶことになった。じっと目を凝らすと、暗い中にも古い聖画が飾られていることが分かった。柱にも、ちょうど密教の塔の柱の仏画のように絵があったらしいが、ほとんどかすれていた。ここは、東方教会の施設だが、ミサをやっていて、アカペラの賛美歌がなかなか心地良く和ませてくれた。イエス誕生の洞窟は、写真でお馴染みのものだが、せっかく長時間並んだので、じっくり鑑賞させてもらった。教会の床には、古い時代モザイクが保存されていて、なかなかきれいだった。続いて、隣の聖カテリーナ教会を見学した。新しい教会で、ここでもカトリックのミサをやっていた。ここの地下洞窟は、ヒエロニムスが、ラテン語聖書を翻訳した場所で、こちらは聖跡ではなくて遺跡である。駐車場に戻る途中、さりげなく1ドルで、街のお兄ちゃんから絵葉書を買った。ベツレヘムは消費税がかからないので、確かに値段が安いようだ。エルサレムへの帰りは、大渋滞だった。
『三千年 春の息吹の ベツレヘム』(イスラムの声 春雷のごと)
ロビンソンアーチの下は、2000年前の歩道とストアの跡が発掘されていた。また、時代は分からないが、立派なミクベも発掘されていた。この時実は、客の一人が体調を壊し、引率がここから、ガイドのトモコさんだけになった。そこで、AからCのグループで、自己点検することになった。昨日は見ただけで通過した、「嘆きの壁」こと西壁を見学した。西壁は、本当は「喜びの壁」と言うべき壁で、その証拠にここで新婚のカップルが祝っていた。自分も、おねだりして、祝いの写真を撮らせてもらった。いよいよ西壁である。ヘロデの造った石壁に手を置いて祈ったのだが、本能的に帽子を脱いでしまったので、注意されてしまった。そこで、改めてキッパを借りて、ついでに紙に「世界平和」を書いて、壁の窪みに差し込んで、三大宗教が仲良くなるように、真剣にお祈りしてきた。ここから、いよいよ西壁トンネルツアーに参加した。ここにはヘロデによって造られた立派なアーチがある。「上の町」と「神殿の丘」とをつないだアーチらしい。19世紀にロビンソンがトンネルを掘って発見したものだが、見学の途中で、ヘロで王の建築の様子を見せるアニメがあって、面白かった。トンネルの途中には、とてつもなく大きな岩があり、建築の凄さを改めて感じた。本来は、このままトンネルを抜けて、ヴィア・ドロローサを歩く予定だったが、シャバット(安息日)の準備で出口が閉鎖されていた。結局、西壁まで戻り、アラブ人地区やアルメニア人地区など横断して、やっとスタート地点へ戻った。もともとヴィア・ドロローサは、キリスト教徒のテーマパークだと割り切って、深く調べていなかった。最初の場所は、Ⅱの鞭打ちの教会だったらしい。なかなか素朴な感じの、良い教会だった。同じ敷地内に有罪判決の教会というのもあり、ステンドグラスが、それらしく落ち着いた感じだった。道の対面がⅠのアントにア要塞だか総督官邸跡だったらしい。すぐ隣が、エッケ・ホモ教会だった。アーチを見る間もなく、中に入る。何だか、教会らしくない建物だ。ここで一番感動するのは地下にある2000年前の本当のヴィア・ドロローサである。古色蒼然とここのことだろうか。滑り止めのギザギザはあるが、全体的にはつるつるしている感じだった。ここに、十字架を背負ったイエスの絵があった。数少ないイエスの遺跡の一つで、ヴィア・ドロローサでは、一番感激した場所だった。
『春雨や ヴィア・ドロローサは しずしずと』(昔の道は つるつるとして)
Ⅲが最初に倒れたとされた所だが、ここの近くに、オーストリアン・ホスピスというオーストリアの宿泊施設に入らせてもらった。目的は、ここの屋上からの眺めだった。左に黄金のドーム、正面にはこれから向かう聖墳墓教会のグレーのドームが見え、言葉には言い尽くせないエルサレム旧市街の眺めだった。ヴィア・ドロローサはアラブ人地区にあるので、ここをぞろぞろ歩くのは、観光としては悪くないが、ステーションを、ただ話を聞いて、写真を撮るだけで、次々に移動するのは、感動的にはいまいちだった。聖墳墓教会に入る前に、エチオピア教会を訪ねた。簡素な教会だったが、シバの女王伝説の画が誇らしげに飾られていた。いよいよ最後の聖墳墓教会へ向かった。十字軍時代の雰囲気を残す教会だが、人が多いので何となく落ち着かない。中に入ると、見覚えのあるⅹⅢの塗油の石が見えていた。とりあえずここは後回しにして、右に階段を登りゴルゴダの丘へ行った。
ゴルゴダの丘は、十字架が立てられて、イエスが息を引き取ったとされている場所だ。もっとも、ロビンソンによれば、后母へレナのきまぐれで決定された十字架の場所と葬られた場所だという。しかし、1600年もの歴史を積み重ねれば、それなりの歴史の重みがあるのも事実で、なかなか荘厳な感じだった。ここで、一番に宗教的なエネルギーを感じたのは、イエスの墓だった。正式な墓への参拝は、時間がかかるので、トモコさんのアドバイスで、コプト教のチャペルで参拝した。手で探ると、赤っぽい斜めの石があり、その先に白いイエスの石棺の一部を確認することができた。遺跡ではないが、伝承の重みは、ひしひしと感じることが出来て、満足だった。昼食は、アルメニア地区のアルメニア料理だったが、実質は食後のコーヒーやミントティーも含めて、アラブ料理そのものだったが、ケバブは美味しかった。この頃、日本で巨大地震が起こったニュースを耳にした。不安な気持ちだった。午後は、いよいよベツレヘム参拝だ。最近、ベツレヘムは世界遺産への申請をしたそうだ。西岸地区では、貴重な観光資源なので、入るのも歓迎しているのだろう。アラブのバスに乗り換えることなく、行くことができた。それでも、ゲートには武器を持った女性兵士がいて、いやが上でも、緊張感が走った。分離壁は、部外者には気分の良いものではないが、トモコさんによれば、リーダーは国民の命を守る責任があるからだ、とのことだった。壁の「内側」にはベルリンの壁のような「落書」も見られた。やがて、向うにパレスチナ富士のヘロデオンが見えていた。歴史的には、第二次ユダヤ戦争のヒーロー、バル・コホバの最後の根拠地でもあった場所だ。駐車場から、アラブの街を、ダラダラと緩い坂を登って、生誕教会へ行った。生誕教会は、まさに砦そのもので、がっしり構えているような感じだった。ここは、大人気で、大行列が出来ていたのだが、ここに突然、大音響が鳴り渡った。タテマエはイスラム教の勧誘、ということだが、要するに日本で言えば、右翼の街宣の大音響と同じで、単なるイヤガラセでしかなかった。こんなことをするようでは、イスラム教も底が浅いとしか思えない。たぶん、ムハンマドも嘆いているのではないだろうか。教会の入口は、昔は馬でも通れる大きさだったらしいが、今では茶道のにじりくち、のように狭く、屈んで入った。中も大混雑で、真っ暗い中を長時間並ぶことになった。じっと目を凝らすと、暗い中にも古い聖画が飾られていることが分かった。柱にも、ちょうど密教の塔の柱の仏画のように絵があったらしいが、ほとんどかすれていた。ここは、東方教会の施設だが、ミサをやっていて、アカペラの賛美歌がなかなか心地良く和ませてくれた。イエス誕生の洞窟は、写真でお馴染みのものだが、せっかく長時間並んだので、じっくり鑑賞させてもらった。教会の床には、古い時代モザイクが保存されていて、なかなかきれいだった。続いて、隣の聖カテリーナ教会を見学した。新しい教会で、ここでもカトリックのミサをやっていた。ここの地下洞窟は、ヒエロニムスが、ラテン語聖書を翻訳した場所で、こちらは聖跡ではなくて遺跡である。駐車場に戻る途中、さりげなく1ドルで、街のお兄ちゃんから絵葉書を買った。ベツレヘムは消費税がかからないので、確かに値段が安いようだ。エルサレムへの帰りは、大渋滞だった。
『三千年 春の息吹の ベツレヘム』(イスラムの声 春雷のごと)
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