人 百名山の想い出⑧

 百名山の織り成す絵には、いろいろなものがあるが、その一つが「人」である。山は無機質なものではあるが、品格ならぬ「山格」には、多くの人がかかわっているように思う。そして。それは神代の時代から、プライベートにかかわる、さまざまな人にいたるまで、あくまで個人的な思い入れである。
 ①薬師岳 若き日の愛読書に中河与一の「天の夕顔」があった。主人公が、最後にかかわるのが薬師岳だった。そんなわけで、百名山では比較的早く、28座目に登った。大だわ峠には、「天の夕顔」の文学碑があり、それなりに感動の対面だった。太郎平あたりは良かったが、薬師岳そのものは、雨に降られた。
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 ②笠ヶ岳 長い間、円空仏をテーマにした年賀状を、ライフワークとは大げさだが、毎年毎年、飽きもせず、せっせせっせと彫刻していた。そして、円空が登った、円空ゆかりの笠ヶ岳も、比較的早く(26座目)登ったのだった。雪渓の雪が真っ白で、シャーベットを食べたのは、後にも先にも、この時が唯一、空前絶後である。杓子平を降りるときに、名残りが惜しく、「雪山賛歌」を歌いながら下ったのが、思い出される。
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 ③月山 有名人と百名山の組み合わせ、といえば、真っ先に思いつくのが、芭蕉と月山である。芭蕉は、日本人の旅人の中でも、人気が№ワン、と言っていいぐらいの人であり、かつ月山に登っている。百名山の順序でいうと、9座目だが、これはたまたまである。芭蕉は、登山家ではないが、健脚家であったことは、間違いなく、自分も何度か旅先で俳句を作ったが、残念ながら、継続していない。
 ④武尊山 人名が山名になっているのは、この山だろうか。もっとも、日本武尊は、実在の人物ではないだろうが、何らかの英雄の姿を投影していることは間違いがないだろうと思う。武尊山にも日本武尊の像が立っていたが、伊吹山の山頂にも、立派な像があった。両神山もゆかりの山らしいが、登った時には、知らなかった。
 ⑤大峰山 役行者も伝説的な人物だが、全くの架空の人物とも思えない。伝説では、富士山にも登ったことにもなっているが、現実的に、役行者が活躍したのは、関西の山々で、特に大峰山は、彼のホームグラウンドの山だったと思う。小説を二つ読んだので、結構パーソナリティーも感じられて、良かった。
 ⑥平ヶ岳 人といえば、日本百名山を書いた深田久弥が一番に上げられるべきなのだが、百の山で、どの山を上げるか、難しい。深田は、百名山を選定するにあたって、すべての頂に登ることを原則としているが、頭の中で選んでから登った山がいくつかある。平ヶ岳も、そのような山の一つだ。ルートや困難さこそ違うが、我々と同じ思考で、登った山として、親しみを覚える。
 ⑦安達太良山 人物が登った山ではないが、文学の上で、一番に思い出されるのが、高村光太郎の「千恵子抄」に出てくる「あれが阿多多羅山…」、という絶唱は、印象が深く刻み込まれている。2001年に登った安達太良山に、光太郎の詩があった。智恵子の生家を見学したのが2004年で、二本松城の裏から見た安達太良山は、印象的だった。
 ⑧幌尻岳 百名山の最大の難関がこの山だった。立松和平の未完のライフワークに、日本百霊峰巡礼、があった。同年代の立松氏が登った、巡礼の実績は、自分が目指すにあたっての、一つの勇気づけになってくれた。その後、立松氏の「日高」を読んだ。
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 ⑨利尻岳 百名山とは関係なく、利尻岳は、ぜひ登りたい山だった。今は亡き、坂上次郎が、大昔のテレビで、利尻岳に挑戦して、見事登頂した番組があった。次郎さんが登れる山なら、自分も登れるはずだ、と勇気を与えてくれた。今でこそ、思ったよりも楽に、登ることはできたが、山から遠ざかっていた時代には、はたして登れる山なのか、半信半疑だった。
 ⑩聖岳 親しくしている友人に、A氏がいる。大学の同窓生なのだが、親しくなるきっかけは、高尾山での、偶然の出会いだった。その後、同じ趣味の囲碁を中心とした交遊が、今も続いている。百名山達成の先輩でもあるA氏に、一度だけ、同行して登った山が聖岳である。偶然の出会いといえば、石鎚山の頂上で、中国旅行で知り合い、囲碁の手合わせをしたI君との出会いも、なかなかのものだった。今でも、便りをいただいている。

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