戦跡 田原坂

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戦跡 田原坂                                      2011年11月8日
 司馬遼太郎の「街道をゆく」は、愛読書の一つである。この「街道をゆく3」に田原坂が出てくる。文庫本で出されたのが、昭和53年である。同書によれば、「坂というより小さなこぶのようなこの台地の上に、家が一軒だけある」とある。(同書では、作田家)これを読んだ時には、いつの日か、ぜひ訪れてみたい、と思ていた。今回の旅で、田原坂は、目的地ではなかったが、訪れる可能性がある場所として、チェックしておいたのだが、その時に知ったのが、弾痕の家は、復元である、という事実だった。
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 今回の旅で、何度か、復元家屋を目にした。金閣のように、燃えてしまったものならば、復元するのも仕方がないとは思うが、戦後の時代までせっかく生き延びてきた、家を取り潰して、きれいな復元家屋を造る、というのは、いかがなものか、と思ってしまった。
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田原坂は、司馬氏が訪れた時にはすでに、遊園地のようになっていたそうなので、今の雰囲気と、似ていたのかもしれない。現在は、この地に「植木町田原坂資料館」がある。資料館としては、可もなく不可もなし、という感じのものだが、一番壮絶なのは銃弾同士が衝突してつぶれたもので、激戦という言葉が、軽く感じるぐらいすごいものだ。フランスでの戦後は「第一次世界大戦」のことだが、ひょっとして、熊本での戦後は「西南戦争」かもしれないほどの、激戦だったようだ。資料館のテラスから、景色が見えるが、ここが激戦地だったのか、と思うと、足元からぞくぞくするような、感覚を覚えた。資料館の先には、慰霊塔、歌に歌われた美少年の像、崇烈碑などがあり、その先が三の坂、二の坂、一の坂になるようだ。最後に、七本官軍墓地を訪ねた。
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整然と墓標が並んでいて、ここが激戦地であったことを、実感として感じる場所だった。七本には、薩軍の墓地もあるそうで、本当はそちらへ行くべきだったのかもしれない。もらった資料によれば、荻迫菅原神社、辺田野熊野座神社神殿、田原熊野座神社神殿などに、本物の弾痕があるようなので、機会があれば、行ってみたい。

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