吉田松陰VS沢木耕太郎

 大佛次郎の「天皇の世紀 一 黒船」を読んだ。黒船前後の、幕府の狼狽ぶりが、実によく分かる。この中に、吉田松陰が登場する。松陰が、米艦へ乗り組むことが失敗した後、牢で、アメリカの士官に渡した手紙が紹介されている。「我々は省みて内にやましいことは一つもない…英雄にふさわしいか試す時…我々は日本六十余州を歩くだけでは物足りなかったので、五大洲の周遊を企てた。我らの多年の心願であった」という内容で、アメリカ人にも深い感動を与えたらしい。松陰25歳の時である。
 この本を読む前に、沢木耕太郎の「旅する力」を読んでいて、自分と沢木とを、秘かに比較したことがある。そこで、今度は松陰と沢木とを比較してみた。両者に共通することは、ともに日本を一通り一周していることである。沢木が、深夜特急の旅立ちをしたのが、26歳の時らしい。松陰の年齢は、当時の数え方だとすると、たまたま同じ年齢になる。沢木は見事に成功して、脚光を浴び、松陰は、失敗するものの、その後、日本に影響を与える人物を育成する、という快挙を演じる。両人の旅の持ち物が面白い、沢木は「李賀」の詩集を持ち、松陰は「唐詩選」を持っていこうとした。沢木が辞書持って行ったのに対し、松陰も和蘭文典や訳鍵を持っていこうとした。沢木はやや無謀な冒険ながら合法、松陰はそもそも国法に反する無謀な試みに挑戦するのだが、両人に共通するのは、自分の周りの人に自分の考えを披露して、賛成してもらっている事実だろう。松陰は、佐久間象山にことを話し、象山も、ヨシとしている。多くの選別をいただいたのも、似ている。沢木は、旅には適齢期があるという。だとすると、象山には遅すぎ、松陰にはぴったりの適齢だったのかもしれない。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック