正論は、教育を殺す

 教育の現場にいる友人から「指導と評価の一体化は実現しているのか」という、難しい論文をいただいた。内容が難解で、分かりにくかったが、若干を紹介してみたい。1991年に指導要録が改定されたが、実際的には、2001年の改訂が、絶対評価と観点別評価とを徹底させ、高校入試とも連動した、という意味で、真にエポックメーキングな改訂だった、とされている。以前は、相対評価だったものが、指導と評価とが一体化されることによって、教師に本来の教育評価のあり方を覚醒させるものでもあった、とされている。そして、文科省の報告によれば、新しい学習評価は教師に定着した、と総括しているそうである。個人的に言わせてもらえば、あの不毛の「新しい学力観」や「総合的な学習の時間」を教育現場に押し付けてきた「おかみ」のやることだから、マユツバもののような気もする。論文によれば、週休二日制の労働時間といった国際的圧力をかわすために、お金をかけないで、「教育改革」をやったために、教師の疲弊と生徒の学力低下を生み出した、と総括している。ただし、「指導と評価の一体化」は、本来の教育評価のあり方だと、首肯されている。そして、今回、「学習評価」が改定され、4観点から3観点に、集約されるらしい。専門的なことは、パスさせてもらうが、二つのコトは気になる。「関心・意欲・態度」の割合が、今までの4分の1から3分の1に高まったが、本当に客観的に「関心・意欲・態度」を評価できるのだろうか、という疑問と、できたとして、ものすごい労力がかかる、という疑問である。この試みは、実際に試した経験もあるが、適正な評価をするには、時間がとてもかかり、結果的に、正しいことではあるが、教師が疲弊し、日本の教育が、低下するように思われて、ならない。

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