閖上地区、荒浜地区 みちのく旅ボラ祈念紀行③

 4月16日 ホテルは、復興にかかわっている人も多く、盛りだくさんの朝食は賑わっていた。ホテルの出発は、7:28で、すぐに閖上へ向かった。車は忙しそうに走っているが、田園の中に、船の残骸が転々としている光景は、余りにも痛ましく、違和感を覚える光景だった。
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貞山堀まで来ると、かつては松林と堀とで、絶景だった場所が、無残に荒れ果てていた。さらに閖上地区は、今までの被災地とは違って、新しい建物はなく、ただただコンクリートの土台だけが、かつてここに集落があったことを語っていた。小高い丘に松が一本生えていて、登ってみて思わず慄然とした。ここ(閖上湊神社)からの、津波の跡の壮絶な景色も凄かったが、ここにいくつかの手作りの慰霊塔が立ち並び、恐ろしさを思っただけで、涙が止まらなかった。
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それぞれの慰霊塔に、心からお祈りをささげた。ここから、閖上大橋へ向かう途中に、閖上中学校があった。敷地には、14名の生徒の慰霊碑があり、またまた涙を誘った。校庭には、大きな船が、三艘も流れ着いていた。時間は、学校の時計とともに、止まっているかのようだった。美術室に入った。泥の中から助けられた生徒の作品が、そのまま並べられていた。
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教室の壁には、津波の証拠のラインが、生々しくそのまま残されていた。近くには、多くの人を救ったであろう、五差路の歩道橋があった。大橋を渡ると、仙台市に入った。ここはまだ、戦場で、一般車両は入れずに、瓦礫などを集積した場所が沢山あった。荒浜小には、どうしても行きたかったので、回り道をした。荒浜小の校庭は、バイクなどの墓場のようになっていた。体育館の壊れ方は、余りにも無残で、言葉が出なかった。そのまま、かつての深沼海水浴場まで行った。あの日の海は、ちょっぴり荒れていた。ここには、東日本大震災犠牲者之慰霊塔があり、賽銭箱も設けられていた。
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ここでも、犠牲者の冥福を祈った。ただ、閖上湊神社の、手作りの慰霊塔の方が、気持ちとしては、痛ましく感じた。荒浜には、ここで再生したい、という希望を込めた、黄色いハンカチが、あちこちにはためいていたが、いまのところ、再建は、禁止されているらしい。
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