石巻(日和山公園) みちのく旅ボラ祈念紀行⑤

 4月17日 この日は、予定が詰まっているので、7:45には、出発した。高速は、有料に戻っていたが、それなりに混んでいて、復興バブルの余波かと思った。我々は、地道に一般道を石巻へ向かった。途中の東松島市も、被害は大きかったそうだが、何となく新興都市のような雰囲気があった。街はそのまま、石巻市へ入った。ふと、左を見るとホット横丁石巻があったが、時間が早いので、閉まっていた。ダメもとで、甘陣本舗さんへ行ったら、9時前の時間にもかかわらず、出来立ての赤飯饅頭を買うことができた。お饅頭は、後で食べたのだが、とても上品な美味しさだった。クルマは、そのまま日和山公園へ登った。市営の駐車場の片隅に何とか停めることができた。最初に、鹿島御児神社に参り、復興をお祈りした。公園からは、眼下にテレビなどで見覚えのある、まるで爆撃されたような、門脇の街並が、廃墟のように見えていた。見慣れていた景色のせいか、昨日、生々しい景色を何度も見たせいか、現実感のない、不思議な光景に感じた。ベンチに、柴犬を連れたおじいさんがいて、昭和32年ごろの、石巻の話を、いろいろと語ってくれた。日本一のマグロの豊漁で、普通の漁船員でも、一回の漁で、百万円の大金を手にするほどの、賑わいだったとのことだった。芭蕉の像があるというので、探すと、曽良と一緒の銅像があった。
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朝、モーニングコーヒーを飲まなかったので、カフェを探したら、すぐ近くに、風見鶏という、格好のカフェがあったので、さっそくコーヒーを頼んだ。値段に比べて、とても高水準のおいしいコーヒーだった。店内に、海外の子どもたちから寄せられた、東日本大震災に対する、励ましの絵や詩などがあり、変な話だが、日和山の景色よりも、ホロリとさせられた。公園では、1時間以上過ごして、眼下の、門脇小学校へ向かった。上からは現実感に乏しかった門脇の街は、下に降りると、余りにも荒れ方がひどく、ショックを覚えた。今まで、亘理町、閖上地区、荒浜地区などを見たが、被害はひどくても、きれいに片づけられていた記憶があった。しかし、門脇の街は、まだ荒々しく、上からの印象とは、余りにもかけ離れていた。今までに訪れた学校には、止まったままの時計が、虚しさを刻んでいたが、ここ門脇小学校の時計は、焼かれて消えていた。ここから、まっすぐに海に向かうと、瓦礫に囲まれて、濡れ大仏の台座だけが、虚しく建っていた。
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ここでも、犠牲者へのお祈りをした。石巻の瓦礫は、量が日本一とされているが、確かに量も凄いが、いまだ に未分別の瓦礫もあり、昨日までの地区よりも、遅れているように思えた。ここから、時間的には、やや早かったが、石巻焼きそばを求めて、石巻駅へ向かった。この駅は、石ノ森ワールドの世界で、サイボーグ009の前で、石巻唯一の記念写真を撮った。
駅のそばには、観光案内所があったので、いくつかのお土産や、復興グッズを買った。11時になったので、藤や食堂を見つけて、石巻焼きそばを食べた。時間が早かったので、肉そばにしたが、次に石巻を訪れる時には、玉子入りの本格派にしたいと思った。次に、日和山から見えていた、石巻漫画館へ行った。もちろん、休館中だが、隣にある正ハリスト教会が、壊れてこそいるものの、流されないで建っているのを見て、確かめたくなって、行ってみた。教会は、確かに幕で覆われてはいたが、復活を予期させる姿で建っていたので、うれしくなった。漫画館には、励ましのコメントを書くコーナーがあり、「石巻頑張れ!また来るヨ」と書いておいた。
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ここの中瀬で、感動したのは、津波でボロボロになった作業所で、一生懸命に、新造船を造っている姿だった。ここを正午ごろに出て、サン・ファン館へ向かった。ここには、津波にも、奇跡的に残った、支倉常長ゆかりの、サン・ファン・バウティスタ号を見るためだった。巨費を使ったトンネルの向こうに、施設はあった。
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周りの建物は、滅茶苦茶に壊れていたが、不思議に、バウティスタ号は、雄姿を見せてくれていた。ここから、海岸沿いを、悲劇の大川小へ行くことにした。

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