土地は誰のものか

 日本には、「公共の福祉」という言葉が、憲法にはあるが、土地に対する意識の中に、公の意識はほとんどなく、土地は自分のものだ、という意識が100%あるように感じる。
 
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東日本の被災地を回ってみて、家屋の土台のむき出しが、そのままになっているところが、多く、場所によっては、その中に、新築の家が、まるでニュータウンのような感じで建っていた。土地の所有者には、切実な思いがあるだろうが、あれだけの大震災があったのにもかかわらず、日本人の根本的なことは、少しも変わっていないようで、少し、さびしい思いがした。もっとも、上は、国会議員の先生方が、震災のことはすっかり忘れて、いつもの政争に明け暮れているので、庶民の感覚も、変わっていないのかも、しれない。
 21世紀になって、それまでとは、何かが変わらなくては、人類が滅びるのではないか、という悲観論が出てきた。それまでの、自由とか権利とかばかりでは、地球が滅びるのではないか、という危惧である。今度の大震災は、ますますその思いを強くした。一つの例が、地球環境問題である。もはや、自由や権利だけを主張すれば、破壊は目に見えている。土地の問題も、多かれ少なかれ、それに近い問題のような気がする。中野孝次氏の本を読んでいたら「熊野は、極端に言えば、ここには険しい山々と無限の海だけがある」という言葉が出てきた。三陸の、リアス式海岸の土地も、状況は、似たようなものに感じた。大げさに言えば、日本全体が、有効な土地の少ない、このような地勢の国と、言えなくもない。それだけに、土地の所有感強いという、説があるのかもしれない。西洋では、土地はみんなのもの、という公共性が高いように思う。日本では、自分の土地だから、景観に関係なく、勝手に建築するが、西洋の多くの国では、みんなの眼鏡に適う必要がある。日本は、明治維新によって、西洋のモノマネをしてきたのだが、どうやらこのことは、学ばなかったらしく、制度の上でも「所有絶対」になっているらしい。我々は、貴重で未曽有な大震災を経験したのだから、西洋流の「利用優先」の考えを真似て、意識も制度も、平成維新をしたらどうだろうか。日本にだって、大昔は、土地は公のものだった時代があるし、江戸時代だって、根本は、おかみのものだったのだから。

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