給食 文明と文化の岐路②

 東京調布市のの4年生の小学生の児童が、食物アレルギーで亡くなる、傷ましい事故が昨年の12月にあった。報道では、2度と、同じような事故が起こらないように、教職員の意識をさらに高める、といった方向でのまとめであった。文明的な観点からは、確かに、このようなことも大切に思われるが、そのことだけで終わるとすると、余りにも事故を矮小化しているようにも感じた。そもそも、全員に同じものを食べさせるという、給食という「文明」の是非の論議を巧妙に避けていること。二つ目に、給食指導という、種類の指導が、教員に丸投げされていることの是非も、まったく問題とされていない、ということが気になった。たとえば、2年前の、福島原発事故において、2度と同じような事故が起こらない手立ては、とても重要なことだが、これは、ある意味、人類が地球という資源を勝手に遣いすぎている「文明」への警鐘であったかもしれず、現実的に、この方向の議論が深まったとは思わないが、いろいろと、議論されたことは認めても良いと思う。にもかかわらず、今回の食物アレルギー事故では、そのような論議を聞かない。

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