小松帯刀邸跡、南洲墓地 のんびり湯ったり薩隅周遊⑪

2月26日 六日目 二・二六事件の日である。天気予報では、午後から雨だったが、実際には、出発した8:30の時点で霧雨が降っていた。ナビを鹿児島にセットした。車が指宿スカイラインに入る直前で一般道にリセットした。以前、スカイラインを走った時には、観光客しか走っていなかった。我々は、急がない旅なので、一般道を走った。道は、海岸に向かってぐんぐん下ったが、それにつれて雨は止んだ。鹿児島市街はそれなりに混んでいたが、まあまあの感じで鹿児島の都心に入った。ガソリンが、残り三分の一ぐらいになったので、ガソリンを10ℓだけ入れたが、リッターあたり160円を超える、恐るべき値段だった。鹿児島は、小松帯刀邸跡へ向かった。司馬遼太郎の「街道を行く」の中に小松どんの家に、臥龍梅があるというので、急遽ネットで調べた結果だった。標識があったが、道が極端に狭かったので、近くのコンビニで買い物をして、クルマを置かせてもらい、歩いて向かった(9:50)。狭い路地を歩いていくと、お城のような立派な石垣が見えてきた。
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 ここでは、あの坂本龍馬夫妻が50日も逗留したそうである。庭には、春の花が咲いていたが、臥龍梅はほぼ散っていた。とても雰囲気の良い庭だったが、個人の家なので、早々に帰った (10:20)。次は、鹿児島市内で、未だ行ったことがない、南洲墓地へ行くことにした。南洲墓地は、景色の良い場所にあり、20分ぐらいで着いた。
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最初に、西郷南洲顕彰館へ行った。西郷は、有名人物なので、知っていることも多いが、知らないことも多いのでびっくりした。彼は。2度の島流しに遭っているが、沖永良部の時は、大久保の讒言であり、西郷は最後までこのことを話さなかった、とのことだった。西郷は、征韓論に反対したことはなく、彼の訪韓使節という方針が却下されて、下野したとのことだった。また彼は、国会開設に尽力したことは、初めて知った。西南戦争に鶴岡の藩士が参加したことは、有名な話だが、現在では兄弟都市の関係にあるらしい。また、彼の敬天愛人という座右の銘は、キリスト教の影響もあり、西郷こそ、イエスの生き方と同じである、と贔屓目に書かれていた。最後に、隆盛のお墓にお参りをして、南洲墓地を後にした(12:10)。1時間以上も、西郷の遺徳に浸っていたことになる。この後、西郷が一番に尊敬したであろう、斉彬を祀っている照国神社へ行った。10分ほどで着いた。新しい建物のようだったが、ここでお詣りをして、最後に資料館を見学した。13:00を過ぎていたので、お昼の場所を探した。

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