十津川村縦断 十津鯨紀古都の旅⑮

 4月12日(七日目) 明け方に、一車線のトンネルを走っていて、対向車が来て、どうしよう、と困ってしまう不吉な夢を見た。この日は、国道169号線を南下するルートを予定していた。もともとは、吉野山の桜を鑑賞してから、紀伊半島を縦断するつもりだった。最終的に、上千本も散り始めた、との情報と、混雑が心配なので、針テラスという迂回ルートを考えて、国道169号線に入るつもりだった。昨年は、台風の水害で打撃を受けたルートなので、前日の夕方まで、ネットで情報を確認してから、ホテルを7:24に出発した。天理から、無料高速の名阪国道(25号)に入り、針テラスで休憩したところまでは順調だった。ここを7:59に出発して、国道369号へ入ると、途中で「国道169号線、通行止め」の看板があった。ここまで、やってきたのは、通行止めとは殺生な、と思ったものの、そのまま大宇陀の道の駅まで走った。ここにも、169号線交通止めの掲示があり、最終的に、道の駅のお兄さんにネットでも確認してもらった。ナビは何も言わないが、仕方がないので、もう一本の国道168号線へ迂回することにした。途中、吉野山の入口である紀ノ川沿いを走り、コンビニで一息を入れた。ここから県道20号線を南下して、城戸で168号線に合流した。もともと、国道168号線は、道が悪いとの評判だったので、おっかなびっくり走ったのだった。標識に、十津川が出てきたので、ちょっと安心した。この道は、普通の地方道だと思えば、立派な道だった。途中の天辻峠にあった道の駅大塔を、ダンプを追い越すタイミングで、パスしてしまった。峠からは、どんどんと道が下って行った。道の駅十津川郷の看板はあったが、十津川村は奥が深くて、走れども走れども十津川村は遠かった。ようやくにして、道の駅に着いたのは、ちょうど11:00だった。早めの昼蕎麦を食べようか、とも思ったが、二階の眺めが悪かったので、一階のカフェで、コーヒーブレイクにした。
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道の反対側に、十津川村郷土歴史館があったので、見学することにした。十津川の名前は、十津川警部もあるが、歴史好きには、十津川郷士というのが、幕末の時期に活躍したのが、何と言っても気になったからだった。南北朝時代に、大塔宮護良親王が落ちのびたのが、この十津川の地だったらしい。検地はされたが、江戸時代は直轄領で、無年貢だったとのこと。幕末になって、なぜか勤王の意識が復活したらしいが、梅田雲浜も、この山深い土地に来たとのことだった。龍馬とも交流があり、このことを悪用されて、暗殺されたのは、返す返すも残念なことだった。十津川郷士は、幕末の活躍に免じて、明治の初めには、士族に迎えられたとのことだった。また、初期の皇宮警察は、二分の一が十津川村の出身だった、とのことはへえー、の話だった。明治時代に、大水害があり、北海道に移住して造られたのが新十津川村、というのは有名な話である。そして、昨年も台風で大水害があり、ドライブしていても、この爪痕はいたるところで見ることができた。見学を終えて、ここを出発したのは、ちょうど12:00だった。

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