アウシュビッツ強制収容所跡Ⅰ ポーランド・チェコうちゅう旅行記⑥

 5月26日(水) 四日目 今回のツアーの目的の一つである、アウシュビッツ見学の日である。クラクフは、世界最初の世界遺産が2件もあるが、アウシュビッツもその翌年1979年、負の遺産として登録された。クラクフより西に54㎞の場所にある。この日は皮肉にも、このツアーでは、唯一の青空の見えた日だった。高速風道路を8:00ごろ右折した。一般道は、のんびりとした林や野原、そして街を通過して行ったが、気分はやや重くなってきた。1時間ばかり走ると、鉄路が見えてきた。
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この鉄路を使って、多くのユダヤ人が運ばれてきて、命を落としたかと思うと、さらに胸が重くなるような感じだった。8:30にオシフィエンティウムへ着いた。駐車場は、緑の木立に囲まれた場所にあり、レンガ造りのインフォメーションセンター(IC)があった。アウシュビッツ第1収容所跡である博物館は、すでに多くの人がいた。ガイドは、唯一の日本人ガイドであるナカタニさんだった。ICから、まっすぐに見ると右手に、収容所の正門があり、有名な「働けば 自由になれる」という文字が、掲げられていた。
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しかし、この門をくぐることができたのは、一部の人で、多数の人は、この門すらくぐることができずに、ガス室へ送られ、殺されてしまったという話は、冒頭から、かなりショッキングな内容だった。構内には、囚人が植えさせられたポプラの樹があり、樹齢が70年を超えて、大木に育っていたのが、悲しみを増幅させられた。
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 アウシュビッツ強制収容所は、1940年に、ポーランドの政治犯の収容所としてスタートしたとのことだった。ユダヤ人を、最初から殺したのでなくて、最初はゲットーに閉じ込め、次に収容所へ送り、ここも満員になったので、不用なユダヤ人を殺した、との説明だった。ここは、ヨーロッパの中央にあり、北はオスロ、南はアテネ、西はパリからユダヤ人たちが送られてきた、という地図があった。
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4号棟の2階には、大量のチクロンBの空き缶が山積みされていた。
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もちろん、チクロンBは殺虫剤であり、殺虫剤として使われ、殺虫剤としての納品書も残されていた。この隣の部屋は、撮影禁止で、女性の髪が山積みされていて、むごたらしさを感じた。

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