悲愴 大槌町

 東日本大震災が終わって、2年と半年以上が過ぎた。大震災の当日は、日本にいなかったが、数日後にi戻ってきて、ガソリンの大騒動や、計画停電などを経験しながら、震災の報道に釘づけだった。福島の、原発事故は、時間的に考えると、今も現在進行形であり、一番深刻な問題である。しかし、我々は、ここに近づくことはできないし、今後も、近づくことは相当に無理があるように思う。それに比べれば、津波の被害は、ある程度時間が、くれば、それなりに回復しそうに思えた。いろいろと、報道がされた中で、大川小学校の悲劇は、一番にショックだった。それとは別に、東京にいて、報道などで、街のレベルで、被害が深刻に思えたところが、3ヶ所あった。南から言うと、南三陸、陸前高田、大槌の3ヶ所だった。昨年の春は、この中で、南三陸と陸前高田を訪問し、やはりというべきか、本当に何もなくて、ショックを受けた。石巻なども深刻だったが、石巻は、街のスケールが大きいので、被害は深刻でも、街全体としては、「復興」という雰囲気が感じられた。原発の町である女川も深刻だったが、こちらは、被害の面積が狭いようにも感じた。その意味で、南三陸や陸前高田は、それなりの面積のある街が喪失してしまった感じが強かった。そして、今回の旅である。野田、山田と、どちらも通るだけで、戦慄の走るような、光景で、復興は「未だ」の感が強かった。そして、問題の大槌へ行った。時間不足で、大したこともできなかったが、2ヶ所で買いボラをして、城山のある公民会館へ行った。地図を見た時に、恐らく、大槌全体の様子が分かるだろうと、思ったからだった。果たして、霧雨で夕暮れの中に見えていた、大槌の街は、悲しくも亡霊の街のように感じた。行く予定にしていたお店も、探し当てることが出来なくて、そのままバイパスに戻り、釜石に向かったのだった。おそらく、昨年訪ねていれば、昨年よりも、ちがいが分かったのかもしれないが、震災後2年半を過ぎた街としては、余りにも復興が遅いように感じた。城山には、永遠の灯がともされ、復興を祈願したが、余りにも悲しかった。
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