ウイグルの悲しみⅡ

 中国の天安門広場の、自動車事故は、どうやらウイグル族の、自爆テロであるらしい。現在、地球的な規模で、イスラム教徒による、自爆テロが、蔓延している。昔、外国(ヨーロッパ系)のテレビで、イスラムの自爆テロのことを「カミカゼ」と言っていたので、とても憤慨したことがある。イスラムの自爆テロと、日本のカミカゼとは、まったく違うものだと思っている。しかし、ここでの論点は、イスラムであるよりも、ウイグルなので、今回は、この点については、触れないことにする。
 実は、最近、宮本武蔵の生涯を書いた小説である「求天記」を読んだ。この中で、春山和尚という人物が「人生は一度限り、魂もあの世もない」と断じ、さらに「もし万能の神がいるとして、これほどの悪と悲しみを見聞して、何事もない神は無能である」と神を弾劾する言葉を吐く。あの世があるかないかは、別として、人生は一度限り、という考えには、うなづける。イスラム教の場合は、人生の先に、「あの世」があり、そこで、幸せな人生を送るために、「自爆テロ」をする、という側面があり、春山和尚の考えとは、まったく正反対の考えとなる。宗教は、否定しないが、たった一度きりの人生を、否定する形の宗教は、ろくなものではない、というのが自分の考えだ。したがって、イスラム過激派の、この世を否定して、あの世を「約束」する自爆テロ、というものは、ろくなものではない、という言葉では、軽すぎる、人類にとっても、卑怯極まるやり方だと思う。
 ウイグル族が話題であるはずなのに、ついつい、自爆テロについて話してしまった。現在の、中国政府は、歴史を平気で、ねつ造するぐらいは、何とも思っていないから、新疆ウイグルの地は、中国である、と主張するだろうが、これはたまたま、新疆ウイグルの地が、現在の「中国」と陸続きであるだけの話であって、たとえ、漢民族の国が、新疆ウイグルの地を支配していた時代があったとしても、それは「植民地」としての支配に過ぎない。そして、今も、新疆ウイグルの地は、中華人民共和国の、実質的な「植民地」だと思う。もともと、華僑と呼ばれていた人たちは、東南アジアに進出して、現地の経済を牛耳ってきた時代がある。植民地ではないところで、経済を支配していたのだから、「植民地」であれば、その地の経済を支配するのは、ある意味、当然のことである。現在の新疆ウイグルの地の経済も、漢族の人たちが、完全制圧している。社会主義人民共和国のタテマエとして、土地はすべて人民という美名のもとに、国家のものなので、新疆ウイグルの地のすべての地下資源も、国家のものであり、直接には、ウイグル族と関係ないところで、開発をしている。たとえば、タクラマカン砂漠の石油開発のために開通した、砂漠公路の樹林帯に水をやるような雑役の仕事でも、遠くから、漢族を派遣している。もちろん、国家が、臼グル族から、収奪するだけでなくて、さまざまな恩恵を与えていることも事実ではある。たとえば、民族自治区内の観光の運営などは、確かに、民族自治区でやっているし、行政的な面で、少数民族に対して、いくつかの恩恵を与えているようなことである。ただし、インフラの整備ならば、植民地時代のイギリスによるインドや、同じく日本の朝鮮半島でも、やっていたことであり、それほど、自慢するようなことではないかもしれない。一番いけないのは、民族の魂を、抜こうとしていることかもしれない。自爆テロには、絶対反対だが、現在のウイグル族に対しては、大いなる同情を、感じる。
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