八戸観光、根城、八戸市美術館 雨ニモマケズ南部秋追い旅⑤

 10月9日(四日目) 早くも旅は、中日である。今度の旅は「南部」がキーワードである。南部は、南部氏の領地、すなわち南部藩のことを指す。何となく、南部は、岩手県プラス、八戸市、という意識があった。旅のほとんどは、岩手県であり、そこに八戸市が入るのだから、びったし南部の旅である。ペンションとしては、ゆっくり8:30の朝食を勧めたかったらしいのだが、我々は、八戸に向かうので、8:00にしてもらった。おいしい朝食だったが、出来れば、9:00までに高速に入りたかったので、何となく、せわしかった。8:35にペンションを出たのだが、焦って走ったら、2度ばかり道を間違えてしまった。それでも、何とか8:50に、松尾八幡平ICに滑り込むことができた。天気は、霧雨状態で、午後には本降りになる予報だった。高速道路は、通常、本線が真っ直ぐ、支線は左に寄れるのだが、八戸道が真っ直ぐで、本道の青森へ向かう東北道が左に入るのが、面白かった。何となく高原状のところを走り抜け、9:35に折爪SAへ着いた。地方のSAは、PAと同じ、というのは、いつも感じることだが、何の情報コーナーもなかったので、がっかりだった。折爪SAを出たのが9:45、八戸ICを出たのが10:00だった。参考時刻が、11:00だったので、天気が悪い割には、頑張った結果である。高速通行のコツは、ターゲットにした車の後を、ついていくことで、これで、注意力と体力の両方を温存することができた。
 八戸の観光は、行きたい順序で、ナビをセットしていたのだが、これは結果オーライだった。最初の見学は、日本100名城の、根城見学だった。比較的、ICに近く、10:10には、八戸市博物館の駐車場に着いた。雨の日の観光は、ミュージアム見学が一番なので、さっそく八戸市博物館を見学した。よくあるパターンの博物館で、新鮮味はなかったが、南部氏の歴史が、いろいろ分かって良かった。司馬遼太郎の本で、南部氏の先祖が、甲州出身の豪族であることは知っていたが、系図的には、甲州源氏の系統、ということだった。また、南部氏には、二つの系統があり、一つが八戸から移った遠野藩の系統で、もう一つは盛岡藩の系統らしい。ところで、根城は、室町から安土桃山時代までの、南部氏の中世の城だが、根城を中心にして、現在の青森県と、岩手県の大部分とを支配していたことが、分かった。ところで、博物館では、三陸復興国立公園指定記念特別展をやっていた。八戸を中心に、岩手県を含めた三陸海岸全体に関する特別展だった。ところで、平泉に近い方から一戸、二戸、三戸とナンバーが続き、八戸まであることは知っていたが、九戸まであることは、初めて知った。「あまちゃん」の北限の海女の展示もあったが、もともとは、男の人が潜っていて、男が遠くに漁に出るようになってから、女性が潜るようになった、とのことだった。八戸の漁は有名だが、最盛期には、ニュージーランドやアルゼンチンの沖まで出かけて、イカを獲っていたらしい。江戸時代長崎の俵物も、主にこの地から産出していたとのことだった。博物館の隣には、旧八戸城の城門があり、その先は、根城広場という史跡公園になっていた。
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その先に、根城の本丸があり、根城博物館、という施設になっていた。きれいな堀を、復元した橋で渡ると、まるで、縄文時代の竪穴住居のような屋根が見えてきた。
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この施設のメインは、城の主殿だが、なかなか古めかしい感じにできていた。中には、お人形のセットがあるのだが、昔の南部氏の正月の行事を復元したものがあった。伝統の鎧を着た歳男が、先祖に扮して、祝いの酒をまっている場面だった。史跡の建物の復元は、かなり問題があると思うのだが、自分の正直な感想としては、ここ根城の復元は、可とも不可とも、言い難い、と思った。ちなみに、スタンプは、博物館でいただいた。ここの見学は、全部で、1時間半ぐらいかかる、ということで、我々は11:40ごろに見学を終わり、次の安藤昌益記念館へ向かった。ナビを見ると、この次の八戸市美術館と、ほとんど同じ、市街地の中にあった。ナビが、昌益記念館を示したが、それらしい建物がないので、次の美術館を目指した。角ばったUターンのように、市街地を進むと、美術館があった。ここで、三陸復興国立公園指定記念特別展をやっているからだった。さっそく、見学をお願いして、3階まで登った。鎮魂と名付けられた作品が並んでいた。その中に、岩田壮平の「白―3.11」という作品があった。東日本大震災の、津波の被災地そのものを描いた作品だが、白で描いているのに、物凄い迫力があった。角度によって、感じが違うことも確かだった。2階は、「郷愁と再生への願い」というテーマだった。目立つ場所に、千住博の「フラットウォーター♯9」が鎮座していた。一見して抽象画なのだが、良く見ると、左上四分の一は、普通の海岸線の風景画だった。しかし、絵の迫力はすさまじく、まさしく名画だった。1階に降りると、「そして、希望への道」というテーマで、東山魁夷の「道」があった。
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あの名作ができるまでには、長い道程があり、その経過の話も面白かった。実際の「道」は、抽象画と言ってもよいような造形で、よく見ると、道と野原との境が、微妙なタッチで描かれていて、これが草のスケッチであることは、後で知った。何よりも、東山ブルーとでもいうべきエメラルド色が素晴らしかった。作品数は少なかったが、なかなか充実していて良かった。

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