八戸観光、種差海岸、安藤昌益資料館 雨ニモマケズ南部秋追い旅⑥
八戸の、最後の目的地は、安藤昌益資料館だった。美術館の人に聞いたら、すぐ近くで、車もおいて良いですよ、という許可を得たので、傘をさして、出かけた。直線距離では近いのだが、車道を歩いて行った。奥まった場所にあり、看板もないので、車で探すのは、困難なように思った。酒屋の倉庫を資料館に貸してもらっているようで、こじんまりした資料館だった。最初に、どのくらい昌益を知っていますか、と聞かれたので、若いころから興味があり、本も一冊あります、と答えておいた。昌益の実在は、証拠の文書が見つかったことで、確認されたらしい、八戸が、江戸中期に、貨幣経済に組み込まれた時に、焼畑で大豆を生産していたらしい。すると、休耕地にワラビが生え、イノシシが、異常繁殖して猪飢饉と呼ばれる飢饉が発生したらしい。また、流鏑馬でけがをした人を、昌益が治療した記録があるとのことだった。面白かったのは、「浅田飴」のヒントが、昌益だった、という話だった。男女と書いて、何と読みますか、と聞かれたので、「ひと」と読むんでしたかね、と話したら、相当に詳しいですね、と褒められてしまった。上には、20年ほど前の、NHKのビデオがあり、それもざっと見た。後年、昌益が故郷の大舘に帰り、「無宗教」の教えを実行した、という事実を、番組で紹介していた。テレビのニュースでは、女性の教育を訴えたパキスタンのマララさんの命を、イスラム過激派が、今も狙っている、と報道していた。これに対し、昌益の思想は、女性や子供を、上に考えるぐらいの思想である。イスラム教よりも、時代が新しいと言えば、それまでだが、ある意味、とてもラジカルで、現代的な思想だと思った。再び、美術館へ戻り、絵葉書を買った。時刻が14:40になり、お腹もすいたので、八食へ行ったら、水曜定休日だった。結局、15:00に、八戸駅前のホテルに、CIした。夕方、八戸駅に行って、チェックしていた鮨屋さんに行った。どれもそれなりにおいしかったが、中でも、活ほたてやほっき貝がおいしかった。せっかく、青森県まで足を延ばしたので、締めは本間産の本マグロ680円也を注文した。ホテルへ戻る途中、コンビニに寄ったら、こわれせんべいという、チョー安い南部せんべいを売っていたので、買ボラした。
10月10日(五日目) 五日目にして、初めての晴れである。何となく入れ込み気味で、ホテルを7:10に出発した。最初の目的地は、種差海岸だった。ただし、途中で、蕪島にも写真ストップ(7:49)したが、昔(30年前)来たことが、懐かしく感じられた。パンフレットを頼りに、海岸線を南下したのだが、蓑毛崎展望台、という絶景ポイントがあったので、下車して、ぶらぶらしてみた。東の方角には、はるかホノルルという標識があって、面白かった。すぐ側には、東山画伯が描いた、鮫角灯台がそびえていて、足元には、ノギクやハマギクなどが、咲き乱れていた。近くに、「道」の標識があるはずだと、探しが、どうやら通り過ぎたようで、一度戻ってから、「道」の標識を見つけることができた。何ということもない景色だが、歴史のある風景でもあるので、自分もはがきに、スケッチをしてみた。この先には、本当の(狭い意味での)種差海岸があって、青い芝生と海とコントラストがきれいな海岸だった。この道路は、青森県の県道1号線で、海岸線を、岩手県境まで、走っていた。
10月10日(五日目) 五日目にして、初めての晴れである。何となく入れ込み気味で、ホテルを7:10に出発した。最初の目的地は、種差海岸だった。ただし、途中で、蕪島にも写真ストップ(7:49)したが、昔(30年前)来たことが、懐かしく感じられた。パンフレットを頼りに、海岸線を南下したのだが、蓑毛崎展望台、という絶景ポイントがあったので、下車して、ぶらぶらしてみた。東の方角には、はるかホノルルという標識があって、面白かった。すぐ側には、東山画伯が描いた、鮫角灯台がそびえていて、足元には、ノギクやハマギクなどが、咲き乱れていた。近くに、「道」の標識があるはずだと、探しが、どうやら通り過ぎたようで、一度戻ってから、「道」の標識を見つけることができた。何ということもない景色だが、歴史のある風景でもあるので、自分もはがきに、スケッチをしてみた。この先には、本当の(狭い意味での)種差海岸があって、青い芝生と海とコントラストがきれいな海岸だった。この道路は、青森県の県道1号線で、海岸線を、岩手県境まで、走っていた。
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