悲愴 山田、大槌、釜石 雨ニモマケズ南部秋追い旅⑩

 魹ヶ崎入り口の姉吉から、山田の街までは、30㎞近くあったらしかったが、まるで林道のような県道41号線は、今までに経験をしたことがないような、くねくね道の連続で、運転は楽しかったが、非常にくたびれた。やがて、左手に、養殖の筏が並ぶ、きれいな山田湾が見えていた。
画像
しかし、山田の街は、悲惨だった。走りながら、涙が、ぽろぽろと流れた。山田の道の駅には、14:15に着いた。時間を考えると、いかに難しい道だったかが、分かるというものだった。もちろん、ここでも買ボラをして、14:40にここをスタートした。
画像
後は、釜石がゴールである。
 釜石のホテルへ向かう前に、気になる町があった。大槌である。津波の悲惨なイメージとしては、最悪のイメージがあったが、本当に、言葉がないほどの、荒れようだった。原則として、建物を立てないで、盛り土をして、再開発をするのだろうが、ほとんど手つかずのような感じなのが、哀れを誘った。予め、地図の上で、公民館のある城山をチェックしておいたので、そこへ行ってみた。そこは、城山の名のように、大槌城跡という標識があった。ここからは、被災地が間近に見られて、思わず、被災者に手を合わせた。
画像
ここには、鎮魂のための、「永遠の灯」がともされていた。陸前高田もあった、「希望の灯」だが、もとは神戸から、いただいたものらしい。大槌でも、2回ほど、買ボラをしたが。探していたお店は、ナビさんが示した場所にはなかった。ここから、高速と並行した国道を走り、釜石のホテルに着いたのは、16:00だった。釜石の街も、まだまだ津波の傷跡が、生々しく残されていた。重茂半島で汗をかいたので、まずは一風呂を浴びた。少々、体がかったるくなってきたが、夕食の必要があるので、外へ出た。最初に、駅まで行ってみた
画像
が、残念ながら、何もなくて、ホテルの方向へ戻ってきた。ホテルからもらった地図を眺めて、釜石ラーメンを食べよう、ということにした。ガイドブックにも載っていた喫茶店に行って、お店のあいどるラーメンを注文した。ホタテやエビなど、ふんだんにある、タンメンのようなラーメンで、とてもおいしかった。せっかくの喫茶店なので、コーヒーも頂いたが、なかなかバランスが良くて、おいしかった。支払いの時に、津波のことを聞いたら、ここの部屋は、完全に水没した、とのことだった。釜石は、海も含めて、3方向から津波が押し寄せて、ホテルの前あたりで、渦を巻いていたらしい。津波は、川からの水が一番大きくて、壁のようだった、との話だった。海から遠いので、家にいたら、息子が引っ張って行って、裏の薬師公園という山を駆け上った、ということだった。NHKの取材もされた経験があるそうで、その時に、今は、あの崖を登ることができますか、と聞かれて、今はとても、登ることができない、と返事したそうである。足が、緊張して、動かなかった、とも話されていた。今でも、海を見るのが、怖い、ということなので、トラウマの深刻さは、他人には、分からないのだろうと、思った。山の上からは、自動車が、おもちゃのように見えて、必死に叫んでも、声が届かなかった、と話されていた。亡くなられた方の多くは、いったん避難した後で、自宅に大切なものを、取りに帰って、犠牲になったらしい。ご主人との再会は、2日後だった、とも話されていた。他にも、避難者でごった返しながらも、協力して避難した病院の話や、バスのガラスを破って、乗客をバスの屋根の上に避難させた、運転手の話、真ん中が高くなった橋では、真ん中の4台だけが助かった話など、もう本当に、当事者自らの経験や身近な体験の話だったので、言葉にならないぐらい、感動した。3.11後、何度も東北へ来たが、今までで、一番に、貴重なお話を聞けて、とても良かった。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック