NZ クライストチャーチ 紙の大聖堂 『NZ南海道旅ある記』最終章

 いよいよクライストチャーチへ向かった(12:35)。はじめは、霧ケ峰を彷彿とさせるような、起伏のあるところを、徐々に下って行って、道は左折した。NZらしい風景の典型は、左右が牧場であることは、まずは、間違いがない。はじめは、起伏のある左右の牧場の風景が、NZの風景の典型かとも思ったが、東海岸の風景は、どちらかと言えば、狭いか、広いかの差はあっても、平原の中に牧場がある、という風景だった。日本の信濃平あたりは、それなりに広い平原だが、まずは、そのようなものだ。スガノさんが、3枚目のCDをかけてくれた。(ちなみに、1枚目は、NZのポップで、カントリーソングやヨーデルもあった。2枚目は、NZを舞台にした、ピアノという映画の曲だった)NZものは品切れで、スガノさんの好きな、ノーザン・ボイスをかけてくれた。皆さんには、子守唄みたいだったが、天使の歌声と言われる、ノーザン・ボイスの歌声は、素敵だった。そして、このCDの最後が、奇しくも「Silent Night」だった。もう12月も下旬になり、Xmasシーズンなのだった。
 『NZで 聴くやボイスの 聖夜かな』
気が付けば、道路は、国道1号線を走っていた。日本でいえば東海道だが、真っ平らな場所を、鉄道と並行して、バスは進んだ。途中で、一か所、ジュラルデンというところで休憩した(13:45)。ここには、日本人の店員がいて、若干の買い物をした。昨日、ようやくニュージーランドの無料地図をいただいたので、確認したら、ジュラルデンはかなり、NZ南海道の首都(Kleist church)へ近づいていることが分かった。それでも、国道は片側一車線のところが面白い。日本の、地方高速は、片側一車線で、時々、追い越しゾーンがあるが、NZの幹線も、全く同じシステムだった。Kleist churchが近づくにつれて、多少車が混んでくるので、初めは、高速を造れば良いのに、と思ったが、よく考えてみれば、その必要はなく、片道二車線に整備すれば、ОKということになる。この辺りは、カンタベリー平原というそうで、日本の関東平野のようなものだが、首都の人口が35万人というから、可愛いものだ。しかも、南海道(NZ南島)の人口の三分の一が住んでいるというから、立派なメガロポリスを形成していた。首都Kleist churchに入ると、初めてごみごみした感じになった。City centerまで10㎞というあたりで右折すると、立派な高速道が出現した。最近できたばかりのバイパスとのことで、随分と混雑が解消された、との話だった(ボブ談)。ところで、朗報が一つあった。というもの、以前大聖堂があった時代には、Kleist churchの観光見学が、組み入れられていたらしい。しかし、カンタベリー大地震(2013年2月22日、すなわち東日本大震災の直前)で、Kleist church都心部が壊滅した後は、観光から除外されていた。しかも、都心部のホテルは、まだ営業をしていないので、このままでは、庭園都市クライストチャーチを、素通りする運命にあった。しかし、今年2015年8月に、大聖堂に代わる「紙の聖堂」が、日本人建築家の手によって、完成したらしい。ボブさんの好意によって、我々は、この教会を見学する幸運に恵まれた。バスが、City centerへ入って行った。まだ、瓦礫のままのところもあった。また、商店街が、closeされたままの姿が、とても痛々しく、東日本大震災の様子と、重なって、胸が熱くなってきた。ちなみに、文明国NZでは、大聖堂を、再建しないことを、決定したそうである。これは、NZの合理性なのだろう。
「紙の聖堂」は、日本人建築家、坂茂(バンシゲル)氏が設計した建物で、防水不燃加工した段ボールを使用した建物である。
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形は、飛騨の合掌造りのように、きわめてシンプルな外観で、構造も恐らくは、シンプルなものに思われた、中に入ると、そのままの形の空間が出現していた。700人が収容できるそうで、驚いたのは、何と十字架そのものも、段ボールでできていた。教会内では、結婚式のリハーサルをしていた。自分としては、まず喜捨をして、お祈りをしてから、写真を撮らせていただいた。
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我々はそのままバスに乗り込んだのだが、教会の道路を挟んで、バスを停めたところは、更地になっていて、その一部に、花束のようなものが、捧げられていた。バスに乗ってから、聞いたのだが、この場所に、大きなビルが建っていて、それが倒壊して、日本人の語学留学生を含めた多くの犠牲者が出た場所そのものだった。
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この話を聞いて、もちろん、二度訪ねた、東日本の被災地とも、イメージが重なって、またまた胸がジーンときて、涙が出そうになった。ホテルの更地が多くあり、復興の早かった神戸や、復興の遅い、東日本の被災地と比べて、とても複雑な気持ちがした。我々のホテルは、やや郊外の、巨大な公園の近くにあった。バイパスのためなのか、寄り道をしても、予定の時刻よりは早く、16:15に、ホテルに着いた。我々は、その後、部屋替えをするという小さな不幸を経験して、18:00にホテルレストランで、最後の晩餐に集った。NZの食事は、例外はあるものの、まずい印象が濃かったが、最後の晩餐は、量を除けば、まずまず満足できるものだった。最後の晩餐の乾杯は、キウイフルーツワイン、というものがあったので、記念に飲んでみた。見た目は、全く白ワインと同じで、フレッシュさも似ていたが、口当たりが柔らかく、ほのかに甘いので、デザートワインとしては、最高の味かと、思った。NZ方式の食後は、ほとんどのhotelやrestaurantで、self-serviceでのコーヒーor紅茶となっていた。せっかくイギリス系NZに来たのに、ほとんどが寂しいティーバッグ方式だった。しかし、last chanceで、初めて本格的な紅茶を飲むことができた。まずは、有終の美、という感じだった。しかし、優雅なひと時が、あっという間に、崩れた。他の日本人団体客が、レストランに現れると、まるで蜂の巣をつついた状態になり、我々は恥ずかしくて、早々に引き揚げた。口直しに、近くの公園まで、散歩した。
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日本でいえば、世田谷公園みたいな規模で、普通の人が、さりげなくラグビーボールを持ち、まだそのボールで遊んでいるのが、NZらしいと思った。横断歩道が、全く母国英国流で、普通に横断していると、必ず信号が赤になる仕掛けになっていた。明日は、出発が早いので、一風呂浴びたら、疲れがどっと出たので、すぐに眠りについた。
 12月20日(最終日) 旅の千秋楽である。と言っても、帰るだけ。朝食はなく、ホテルの無料サービスコーヒーと、豪州産ティタムで簡単食にした。ここから、空港までは、15分ほどなので、すぐ着いた。残ったNZ60$も、何とか全額を遣いきった。オークランド便は、オールブラックス仕様の黒いデザインで、なかなか洒落ていた(写真に撮れなかったのが残念だった。オークランドでは、国際便への乗り継ぎが面倒だが、その分待たされる心配はなくオールブラックスのラグビージャージを、カードで買う時間は、ギリギリだった。これにて、NZともさらばである。
帰りの便は、窓側の席が二席並びなので、とても助かった。最初だけはちょっぴりうとうとしたが、食事で起こされてからは、ずっと起きていた。NZから日本までは、時差が4時間しかなく、しかも西に向かうので、昼間の時間がやや延びるだけなので、時差ボケも少なそうだし、海外旅行の帰りとしては、もっとも体に優しい気がした。機内で、surfaceをいじっていたら、日本人でフレッシュマンらしい男性アテンダントが、keyboardで電波を使う機種は、機内では使用禁止です、と注意されたが、surfaceは、直結なので、電波は使わないのでОKだった。映画は、往きに見たDESPICABL M2を最後まで見たのと、麻薬運びのコミックものを見た。帰りも、太平洋をひとっ飛びで、予定よりも30分早く、成田国際空港へ着いた。

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