『孟嘗君』宮城谷昌光著

 高校生の頃、一番好きだった授業が、漢文の授業だった。その頃に「食客三千人」という言葉を習ったような気がするが、その時の印象では、たかが、小さな領主に過ぎなかったような気がする。多くの食客を養った、といことの他は、あまり知ることもなかった。それとは別に、同書によって、清少納言の「夜をこめて鶏のそら音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」の元の故事が「鶏鳴狗盗」であることを知った。函谷関を通る時に、鶏のモノマネをして、関を越えた、という話なのだが、この主人公が孟嘗君であることが、知識として、結びついた。
 孟嘗君は、田文が本名で、確かに薛の領主なのだが、これは本来父田嬰の領地であり、ここを相続したことによる。田文は、戦国時代の、魏、秦、斉の三か国で宰相を勤めた、稀有の人ということができる。宮城谷氏が、この小説を書き始めた時には「孟嘗君」という題名ではなくて「白圭」だったらしい。事実、この小説の本当の主人公は、孟嘗君田文の養父である、白圭のような気がするし、彼の冒険物語の部分が、一番に面白い。映画で泣くことは、まああるが、小説を読んでいて、泣けたのは久々だった。一応は、歴史ものなので、戦記の部分も、それなりに面白いが、ラブロマンスとしても、面白いので、女性でも楽しめるかもしれない。ちなみに、歴史ものとして、強国秦の基礎を築いた、商鞅や、「孫子」の孫臏、屈原、「孟子」の孟軻などのスターが、きら星の如く登場するのも、なかなか興味深い。個人的には、宮城谷氏が、登場人物にの言葉で、いろいろな言葉を述べていたのが、一番に、印象的だった。そのいくつかを、紹介してみる。
 「詐術は墓穴を掘る」商鞅。
 「身はここにあっても心はここにない、心が定まらぬものにいまもむかしも将来もない」。
 「父は、子を教えるものではない」県祜。
 「人に教えることは、自分にとってあいまいなことがあきらかになり、みずから学ぶことになる」。
 「弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんで差支えない」白圭=風洪。
 「人が不幸の底にたたきおとされたと感じた時、実はそこから幸福が始まっていると考えられる」。
 「権力という蠱毒をのんだ者は、人格さえかわってしまう」孫臏。
 「外交の秘訣は、相手国の利を示すことだ」田嬰。
 「正しいことを行っても、人にうらまれることがある」白圭。
 「希望は星の光のように小さく遠いものです∵欠けたり消えたりしない。うつむいては見えない」。
 「人はひとつの幸福を手に入れるために、様々なものを捨てなければならない」。
 「捨てていく自己に理想が具現する」夏候談。
 「人というものは、恩は忘れるが、恨みは忘れぬ」田文。
 「利そのものが害になる、取ることが与えることよりつねにまさるか」田文。
 「人を助ければ、自分が助かる」白圭。
 「人の命は、すでにあるものを守ってゆくというようなものでなく、日をつくってゆくものだ」

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