黒姫山研究

 梅雨にすっぽりハマり、青空が恋しい日が続いている。先ごろ、今年の内にぜひ登りたい山として、黒姫山と岩菅山を考えている。その理由は、自分で考えた「百名山」のうち、2番目にあたる「百名山」が、残り3度になっていたことが分かり、その3座に、黒姫山と岩菅山とが入っていたからである。
 昭和46年に、深田久弥の「日本百名山」を読んだ時に、それなりの感銘は受けたが、それなりの不満も残った。不満の部分については、深田自身が、後書きに、「私は多くの人の意見を聞きたい。そして今後再版の機会があったら、若干の山のさしかえをするつもりである」と書いたように、「再版」が出されるかもしれない、という期待があり、それならば、自分なりに「百名山」を考えてみよう、ということだった。深田の「百名山」は、彼の志とは違って、「再版」が出されることもなく、いつの間にか、カリスマ化して、百名山ブームが到来していることは、御存じのとおりである。
 深田の「日本百名山」を知る5年前に、初めて登った山が、大学時代の戸隠山だった。この地方には、北信五岳と呼ばれる名山が、5山ある。いつかは、これらの5山に登りたいものだと、思ったものだった。ところで、深田は、この北信五岳からは、妙高山だけを入れて、同じ山域から、高妻山と火打山の2山を入れている。ブログなどを読むと、このことを、さすが、深田の眼力だ、と称しているむきもあるが、そうとばかりとは思えない。というのも、彼は、自分で登っていない山については、百名山から除外しているからだ。彼の言葉でいえば「登ってみもしないで選定するのは、入社試験で履歴書だけで採否を決定するようなもので、私のこのまないところだった」というのだが、せっかく彼が、百名山の条件とした、品格、歴史、個性をあげながら、個人的な理由を、加味してしまったのは、ある意味深田百名山の限界だったかもしれない。彼自身も、北海道の山々について、「実際に登っていないという不公平な理由で除外したことは、それらの(除外した)山に対して、甚だ申し訳ない」と述べている。また、彼自身によれば「ただ。近年の異常な観光業は、古い謂れのある名門の山を通俗化しても、もはや山霊も住み所がなくなっている。そういう山を選ぶわけにはいかない」と「日本百名山」そのものに書いている。彼が、「日本百名山」を書いてから、今年が50年の半世紀が経つという。半世紀前に、すでに、世俗化して、名山から脱落した山があったとすれば、50年後の今は、そのような山が無い、とだれが断言できるだろうか。「日本百名山」は深田が、自身の還暦を記念して制定したものだから、恐らくは、古希になれば、恐らくは再版が出たに違いないのだが、残念なことに、深田は古希の2年前に不帰の人となってしまった。前置きが長くなってしまったが、このような背景の時代に、自分で考えた「百名山」だった。 黒姫山は、深田が夫人の還暦を記念して、登った山で、名山の風格があったことを、その紀行文で述べている。山には、不幸な山と幸福な山とがあり、人がどっさり訪れる山が、どちらに属するのか、微妙なところだが、黒姫山は、ほどほどの人気があり、百名山の雑踏もないだろうから、期待している。
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