放射能とは

 出先で、青森の十二湖が、きれいで素晴らしかった、という話をしていたら、裏磐梯の五色沼のようなところですか、と聞かれた。感じとしては、裏磐梯の方が、火山の影響であり、時代も新しいので、妙な生々しさがあるような気がする。家に帰ってみたら、今度は、Y新聞夕刊に、裏磐梯の旅の記事が出ていた。その中に、3.11の後、風評でお客が減ってしまった、との話が載っていた。その年は仕方がない(あの京都の春でさえ、人がパラパラだった)が、3年経っても。戻らないというのは、3.11後、旅ボラと称して、しばしば東北へ行っているものにとっては、信じがたいことである。しかし、現実には、新幹線で、福島を通らない人もいるので、とても残念なことである。今回の旅で青森県、東通村を通過した時、原子力のPR館に寄る機会があり、「放射能とは」というパンフレットをもらってきた。現物は、処分してしまったので、正確なタイトルも不明だが、メモをしておいたので、放射能について、自分が理解したことを紹介してみたいと思う。
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 そもそも、「放射能」と「放射線」の違いが、分かりますか、ということである。事実は、こうである。まず、物質は、安定したものと、不安定なものとがあり、不安定なものが、安定したものへ、変化しようとする時に、その不安定なものから、粒子や電磁波を放出して、安定したものになろうとするとのことである。「放射線」とは、この時に放出される、粒子や電磁波のことである。問題は、この「放射線」が、人体に対して、悪さをして、最悪の場合には、死に至らしめる、から大問題なのである。ちなみに、この「放射線」を出す物質のことを「放射性物質」という。この他に、「被ばく」という恐ろしい言葉がある。長崎県出身である自分には、「被ばく」=「被爆」というイメージが強すぎるのだが、一般的に使われてる「被ばく」は「被曝」であり、科学的には、単に「放射線を受けること」である。世の中で、福島を、新幹線でも通過しない、という人は、ひょっとしたら、この「被ばく」の意味を、混乱しているかもしれない。「放射能」という意味は、言ってしまえば、「放射性物質」が、「放射線」を出す能力、のことである。言葉で書けば簡単だが、本当に「分かる」のは、なかなか難しいように感じる。
 今年の春、ウズベキスタンへ行った時に、バスの窓から、トラックで移送される「牛さん」を見てしまった。あの牛さんたちは、殺されて、食べられてしまうのか、と思ったら、食事の時には、感謝して、食事をしなければいけないと、思った。「放射能」は、感謝すべきもではなくて、むしろ、逆の存在だが、われわれが、生物の命を、奪うことで、生きていることが現実であるならば、「放射能」を、毎日毎日、浴び続けて生きていることも、またまぎれもない現実である。要するに、生き物の命を奪うことを拒否すれば、自分が死んでしまうことと同様に、「放射能」を浴びることを拒否すれば、やはり生きてはいけない。
 一人の人間が、大地や宇宙、食べ物や呼吸から受ける年間放射線量は2.4ミリシーベルトである。このうちの半分、すなわち1.2ミリシーベルトは、我々が呼吸をして、空気中のラドンから被ばくする、数字である。要するに、人間は、どこかで折り合いをつけなければ、生きてはいけない。
 被ばくした場合、少量の場合は、人間の修復能力により、回復する。このことを、信用するか、信用しないかは別として、歴史的に、これまで、人類や生物が生き続けてきたのが、何よりの証明なのだろう(新幹線でも福島を通らない人は、このことを、疑問に思っているのかもしれない)。科学的には、100㍉シーベルト以下では、被害が報告されたことはない、ということである。500㍉シーベルトを越すと、水晶体に汚濁がでるらしい。要するに、白内障なのだが、現実的な問題として、紫外線の害のほうが、深刻なことは、まあ常識である。この数字を頭に入れておいて、一人の人間が、大地や宇宙、食べ物や呼吸から受ける年間放射線量は2.4ミリシーベルトである。しかし、この数字は、世界平均であって、世界最高の場所である、ブラジルのカラバリ市で10㍉シーベルト/年、日本の平均が2.1㍉シーベルトらしいので、ちょっぴり安心できるのか、できないのか。この数字の内、宇宙、大地からの放射線量は約1ミリシーベルト/年であり、花崗岩(放射性物質を含む)が多い西日本の方が、放射線量が多いそうである。ちなみに、1.1ミリシーベルト/年以上は、福岡、愛媛、高知、香川、滋賀、福井、岐阜の7県である。実際には、細かい地域によって、ばらつきがあるのだろうが、そのことによって、住むことを止めたりする必要はないだろう。ちなみに、いわゆるCTスキャンによる被ばくは、6.9ミリシーベルトであり、日本人の、年間平均、医療における放射線量は4ミリシーベルト、とされている。その上で、医療用被ばくを除く、一般公衆に対する制限の数字が1.0ミリシーベルト/年なのである。
 宇宙は、放射線に満ちていて、上空へ行けば行くほど、被ばくすることは、容易に想像できる。東京↔ニューヨーク便の被ばく量は、0.2ミリシーベルトとされている。ところで、花崗岩から放射線が出るように、コンクリートからも放射線が出る。単位が細かいので紛らわしいが、国内便の高度である、5000メートルでの被ばく量は、0.10マイクロシーベルト/時であり。コンクリートの多い、銀座3~4丁目の被ばく量は、0.12マイクロシーベルトで、銀座の方が多い。
 話をややこしくして申し訳ないが、「放射能」の単位は、2種類(正確には、3種類)ある。これまで、使ってきたシーベルト、という単位は、人体への影響の単位であり、放射線により、身体が受けた影響を表す単位である。地震でいえば、震度にあたる。地震の大きさは、マグニチュードで表すが、「放射能」のマグニチュードにに相当する単位が、ベクレルという。人間は、平均して食物から、0.3ミリシーベルト/年を、食べることにより、被ばくしている。資料によれば、干し昆布=2000ベクレル/㎏であり、干しシイタケ=700ベクレル/㎏とある。むかし、ワラビが、がんの発生率が高い、とされたようなもので、通常の生活をする限り、気にする必要は、まったくないものだろう。それよりも、一番恐ろしいのは、体内(体重60㎏)の放射線物質の量=カリウム40が4000ベクレルである、という数字である。要するに、人間の存在そのものが、「放射能」なのである。ただし、江戸時代の、金山などの鉱夫たちの、平均寿命が、異常に短かったのは、いつまでも地中にいることは、いろいろな悪影響が考えられ、その一つに、「放射能」も考えられなくはない、というのが、素人の考えである。「放射能」は、水の多いところには少なく、トンネルには多いそうである。
 ここまで、とりとめもなく「放射能」について書いた。しかし、心情的には、このような自然の「放射能」と違って、人工的に発生された「放射能」に対する、心情的なアレルギーが、一番の問題に思われる。現在の日本は、原発事故以来、実質的な、原発ゼロの状態が続いている。しかし、ここに至るまでの、文明生活が、限りなく原発に依存してきたことは事実である。これからのことは、これから考えて行動するとして、「過去」においては、我々も、それなりの責任があった、というべきだろう。その限りにおいて、われわれは、「負の遺産」ではあっても、現実は、受け止めるべきなのだろう。もちろん、悪影響があってはならないが、許容される範囲内なら、折り合いをつけた方が、責任があると思う。我々の周りには、「放射能」を含めて、大気汚染や、残留農薬など、さまざまなリスクがある。ひょっとして、最大のリスクは、我々の体内にある、ヒステリーのようなストレスではないかと思うのだが、どうなのだろうか。
 最後に、被ばくした場合の、ガンになる相対的リスクである。長崎・広島で、100ミリシーベルトの被ばく者のガンになる相対的リスクは1.08倍だそうである。この数字は、「科学的には、100㍉シーベルト以下では、被害が報告されたことはない」ということと、矛盾するようにも思うが、この数字は100㍉シーベルト(以下)/年なので、一度に「被爆」した100ミリシーベルトとは、次元が違うのかもしれない。それはともかくとして、喫煙の1.6倍、運動不足の1.15~1.19倍という数字と、比較して、どう感じるかは、その人次第だろう。やはり、「放射能」は難しい。

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