クルドと英雄

 邦人人質事件の最初の映像で、「イスラム国」が、唐突に十字軍と日本を無理やりに結び付ける「発言」をした。はたして、一般の日本人にとって十字軍は、どのように感じているのだろうか。要するに、キリスト教ヨーロッパ軍である十字軍側と、侵略されたイスラム教徒側のどちらに、正義を感じ、どちらに親近感を覚えるか、という問いである。昔の日本の歴史書は、世界史=ヨーロッパ中心主義の世界史だったので、十字軍側が正義、イスラム教徒側が不正義だった。理由は、キリスト教徒の聖地エルサレムを、イスラム教徒が占領して、蛮行を加えた、というものだった。しかし、これは、キリスト教徒側の言いがかりであり、現在は、どちらかと言うと、侵略したのが十字軍であって、必ずしも、十字軍が正義ではない、とされている。それとは別に、人間には感情があり、どちら側が好きか、という問題もある。
 個人的には、十字軍そのものについては、どちらかと言うと、イスラム贔屓、ポスト十字軍というべき時代になると、どちらかといえば、クリスチャン贔屓という、複雑な感情を持っている。西暦が1999年から2000年にかわる時に、トルコへ行った。トルコといえば、トルコの英雄である、アタチュルクが好きで、彼のことは、今でも大好きである。ただしこのころは、ポスト十字軍である、コンスタンチノープルの攻防が一番の興味だった。この年(2000年)にギリシャへも行ったのだが、この時は、ポスト十字軍のもう一つのハイライトである、ロードス島へ行って、感激した。ロードス島は、ほとんどトルコ領みたいな場所にあり、トルコの本土が、間近に見られたのが、印象深かった。続いて、2001年に、本格的なイスラム圏であるエジプトを訪れ、カイロ郊外のモハメド・アリのモスクへ行った。不思議に思ったは、ここがイスラムの英雄であるサラディンの砦跡にあるのかかわらず、イスラム教徒であるエジプト人のガイド(大学教授)からは、英雄に対する思い入れ、皆無だったことだった。その後、久しくイスラム圏からは遠ざかったが、2009年に、チュニジアで、フランス国王ルイ9世が、十字軍で来たことを聞かされたが、余り興味はわかなかった。この年(2009年)、今、ニュースで毎日聞かされているシリア・ヨルダンを旅した。ダマスカスの市街には、サラディンの銅像があって、彼がイスラム側の英雄であることを実感した。
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シリアには、クラック・ディシュ・バリという十字軍側の砦を見学した。サラディンも攻略できなかった名城だが、気分はここを攻撃した側の、イスラム側にあった。2011年には、十字軍の本丸である、エルサレムを訪れた。ガイドに、ハッティンの丘の場所を質問したぐらいなので、イスラム贔屓だったことは間違いない。ところで、サラディンはアラブ人ではなく、クルド人であるらしい。エジプトでの、冷たさは、それが原因だったのかもしれない。
 クルド人は、中国のウイグル人がそうであるように「少数民族」では決してない。世界最大の、国家を持たない大民族である。第一次世界大戦後、民族自決の流れの中で、クルドの国が成立しかけた時があったのだが、これをぶっ壊してしまったのが、トルコの英雄ケマルパシャことアタチュルクだったというのは、歴史の皮肉としか、言いようがない。某5chの報道番組が、「イスラム国」を擁護して、ネットで、話題になっているそうである。シリア、イラク・ヨルダンの国境線が英仏の、帝国主義による線引きであることは正しい指摘だが、このあたりの、最大の被害者は、世界最大の国家の無い民族である、クルド人であることは、強調しすぎても、しすぎることはないと思う。それにしても、「イラク国」の中に、ウイグル人の兵士がいる、というニュースは、余りにも悲しすぎると思った。

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