カメラの攻撃性

 シリア入国を希望した、フリーカメラマンが、パスポートを取りあげられたそうである。報道は、主に、憲法に保障された、「自由」を持ち出して、これには反対意見のようである。いわく、2004年までは、アラブは日本人に好意的だった…である。自分の経験でいえば、好意的だったのではなくて、日本人が「珍しかった」のだと思う。そのことを、中東を旅した、多くの日本人が、アラブは日本人に「好意的である」と錯覚したのだと思う。本来のイスラム教徒は、人間を、偶像崇拝徒と異教徒(同じ教典の徒つまり、ユダヤ教徒とイスラム教徒)とイスラム教徒の3種に分ける。日本人は、異教徒ですらないわけだから、大げさに言えば、人間ではあるが人間ではないような、興味津々だったはずである。その後、ぼちぼちと、日本人が、中東へ進出したわけだが、これは、世界的に見れば、エコノミックアニマルと、やや揶揄されていたわけで、良く言って、人畜無害だったのかもしれない。
 2004年頃から、カメラを向けると、「何」という感じで、アラブ人が寄ってきた、と話していたが、これは日本人だから、ではなくて、カメラをむけられたからだ、と思う。カメラと言う道具は、とてもガンに似たところがあって、カメラを向けられると、何か「銃殺」されたような気分になる。多くのカメラマンは、そのことを、分かって、取材しているのだと思うが、緊迫した場面で、レンズを向ければ、日本人だろうとなんだろうと、「何」と言うのが、当然の反応だと思う。現在、テレビで、「岩合光昭の世界ネコ歩き」という番組がある。カメラマンの理想は、あのスタイルだと思う。あそこまで、被写体に寄り添って、ある時は、被写体そのものになって初めて、カメラの攻撃性が消えるのだと思う。
 後藤さんの場合は、今までの経験があり、結果としては失敗したのだが、彼の「読み」が、想像以上に深刻になっていた、としか言いようがない。残念ながら、結果論としていえば、多くの日本人を危険にしたことは間違いない。だからと言って、現在、彼を責めるつもりは、まったくない。しかし、これから、同様のことをするとすれば、多くの日本人を巻き添えにするのだから、少なくとも、松陰や龍馬のように、脱藩するしかしかたがないと思う。
 秋田県の、抱き返り渓谷を旅していたら、ある東洋系の外国人が、パソコンで写真を撮っていた。確か、タブレットでもなく、パソコンだったと思う。あのような形は、形の上ではレンズがないので、比較的、攻撃性が少ないようにも感じる。その意味では、ガラケーぐらいのカメラなら、攻撃性を感じない。
 確かに、世の中には、正当防衛だとか、緊急避難などと、とっさの場合には、仕方がないこともあるが、計画性がある場合は、そのような理屈はなりたたないわけで、無垢の日本人に、危険を及ぼすことは、やってほしくない。

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