日本人至上主義

 今回の、後藤さんの行動については、賛否の両論がありそうだが、日本人の8割の人が、自己責任と思っている、との調査が出ていた。自分もどちらかといえば、自己責任に近い考えではある。しかし、この場合、日本国政府は、全力で国民を守る義務があることもまた事実だ。報道関係では、たとえ、国から反対されても、真実を伝えるために、行かなくてはならない、とする意見なので、世論とは違う主張のようだ。NHK特集で、「イスラム国」をやっていた。個人的に、この言葉は使いたくないので「ぎあいえす」という表現にする。これは、「ぎあいえす」が、とてもイスラムを名乗る資格などなさそうだし、その言葉を使うことが、ぎあいえすの戦略にハマっていると考えるからだ。アイエスは、政府がつかっている言葉だが、あえてアルファベット表示はせずに、偽を意味する、ぎを先頭に付けた。将来的に、日本がどのような国になっていくのか、定かではないが、日本人は、何でもかんでも、日本でやらなくては、気が済まないようなところがある。食糧は、結果的には、大半を輸入に頼っているわけだが、できれば、国産でやりたい、という気持ちは強いはずだ。(ある一定以上の割合で、食料は、自給すべきだとは、自分も思っている)工業製品などは、先ずは、国産でなければ、という気持ち強い。ひょっとしたら「マッサン」も、同じ気持ちだったのかもしれない。これはこれで、自分も納得するのだが、情報の場合、100%、日本人の情報でなければ、信用できないのだろうか、という疑問である。
 客観的に言って、日本は、信頼できる友人と言うべき国が存在しない。友達のいない国である。だから、日本人の情報でなければ、信用できない、という論もありそうである。しかしである。日本と言う国に、信頼できる友達はいなくても、日本人には、個人的に、信頼できる友人が、たくさんいるのではないだろうか。言ってみれば、戦後の日本は、このような、信頼できる関係を、ずっと築いてきたような気がする。一つの行動の、検証することも大切だが、日本人の一人として、過去も、現在も、未来も、信頼できる人間として、われわれ日本人は、行動したい。そうすれば、日本人でなければ、という狭い気持ちでなくても、良いように思う。
 改めて、後藤さんの冥福を祈る。彼は、彼の信念で、行動を起こしたわけで、結果論で、彼は責められないような気がする。我々日本人は、彼を忘れないことが、一番大切なことだと思う。できたら、記念館を、最悪でも、顕彰碑を建てて、永遠に、後藤さんを忘れないことと、ぎあいえすの、卑劣な事実を、後世に残したい。

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