戦没画学生の叫び 無言館 信州旅④

 十字架の形をした、無言館は、戦争の犠牲になった、若き画学生たちの遺作を集めた、美術館である。作品だけでなく、その人となりを示す資料も多数展示されていたので、知覧の特攻平和会館と同じような感覚に襲われた。日高安典の「裸婦」恋人に、あと5分…と悲痛な叫びの中で描かれた絶筆だった。27歳でルソン島没。興梠武の「編み物をする婦人」28歳でルソン島没。伊沢洋「家族」26歳ニューギニア没。
大倉裕美「自画像」24歳ルソン島没。佐藤孝「林の道」21歳ルソン島没。小永井裕朗「神竜丸の最後」唯一の戦争画だった。21歳ルソン島没。小柏太郎「婦人像」25歳フィリピン没。ノートに、食べたいものが列記してあり、切なかった。 無言館の別館として、「傷ついた画布のドーム」という施設もあった。無言館同様に、教会のような作りで、中に入ると、画学生たちの作品で覆われたドームが目に飛び込んで、胸が熱くなった。瞬間に思ったのは、イスラエルでヤド・ヴァシェムといわれるホロコースト記念館の天井に、殺された方々の写真が記憶として並べられていた光景だった。写真とデッサンの画布との違いはあるが、同じく戦争で犠牲となった方々を記憶として残そうとする形であり、尊いものだと思った。この建物で、作品を鑑賞していると、団体客の老婦人たちが、大きな声で、場違いな批評をしているのを耳にして、思わず「シー」というジェスチャーをしてしまった。この施設が「無言館」というネーミングであることを、爪の垢でも感じてほしいものだと思った。こちらの方は、無言館より資料は少なかったが、作品は、同じように我々の胸をうった。堀井正典「斜光」21歳、特攻で…。五十嵐弘「自画像」33歳ルソン島没。福井勇「婦人像」フィリピンで不詳。中には、生死も分からないような人もいて、遺族の方の気持ちは、幾ばかりかと思った。ここの鑑賞を終えたのは、13:30頃だった。前山寺のくるみおはぎにも幾ばくかの未練はあったが、この日のうちに、我が家に戻らなければならないので、このまま、帰ることにした。途中、上田城で買いそびれた城バッジをゲットして、上田菅平ICから高速に入ったのは、14:22だった。
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次の目的は、横川SAにした。お昼がまだなので、峠の釜めしを食べたい、というわけである。横川SAには、15:02に到着した。早速、釜めしをいただいたのだが、ここはレストランではなくて、フードコートの一角だった。せっかくならば、高速での休憩は、体の休まるレストランにしたかったのだが、仕方がなかった。それでも、休日ではなかったので、ガサガサしていなくて良かった。この中に、列車がそのままあって、駅弁の雰囲気で食べられるらしいが、たまたまタレントが来ていて、中継をしていた。出発したのが、13:45で、次の休憩は、高坂SAと言うことになる。14:46に、高坂SAに着いたのだが、いつもここのパーキングは、とても車が停めにくい構造になっていて、ブーイングである。恐らくは、設計のミスではないだろうか。ここは、休憩だけなので、すぐに出て、圏央道へ入った(15:02)。平日の圏央道は、すっかりトラック街道になっていて、何とか青梅ICを下りたのが15:17だった。僅か、1泊2日の旅だったが、とても充実した旅立ったように感じた。

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この記事へのコメント

2015年12月01日 16:09
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  • 「戦没画学生の叫び 無言館 信州旅④」について

    Excerpt: 「戦没画学生の叫び 無言館 信州旅④」について  どういたしまして、信濃デッサン館も無言館も、想像以上に素晴らしかったです。無言館は、美術に興味がなくても、日本人なら、一度は参観に行ってほしい施設でし.. Weblog: ワイエスイレブンぶらくりさるく racked: 2015-12-01 20:05