円空終焉の地 弥勒寺・円空館 美濃街道 城と寺と邑の旅⑨

 三岸節子記念美術館を出発して、10分ほど走って、尾西ICに入った。そのまま一昨日のコースの逆をなぞって北上した。自分の作成したロードマップでは、関ICで下りるはずだったが、ナビはそのまま北上し、美濃関JCTで左折して、終点の関広見ICで下りた(11:00)。この辺りは、美濃市と関市との境界で、関市の入り口には、円空仏が関市を案内していた(余談だが、最近は、モネの庭に似た神社がフィーバーしている)。数分走ると、長良川を渡る赤い橋
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を渡ると、円空館の駐車場はすぐだった。そこには、弥勒寺という寺があるだけで、何もなかった。
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弥勒寺の本堂には、自由に拝観してください、とのことだったので、喜んで拝観した。本堂内には、奉納された平成の「円空仏」が多く展示されていた。円空館はどこだろう、と不思議に思って、周囲を見回したら、目立たない、円空館への表示があった。竹林の道をしばらく歩くと、弥勒寺跡の礎石があり、史跡とのことだった。さらに進んで、林を抜けた先に、目的の円空館があった。
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初めに、ビデオを見せてもらった。円空が、飛騨の生まれであることは、比較的最近分かったようだが、2か所で、生地の争いをしているらしい。弥勒寺は、かつて栄えたらしいが、信長に焼かれたらしい。円空が、初めて住職になったのが、弥勒寺だったようだ。この地は、小瀬といって、鵜飼でも有名で、3名の鵜匠がいるのだが、この3名が、宮内庁の国家公務員、というのは大いなる驚きだった。円空仏では、自刻像といわれる作品が有名で、懐かしい気がした。また、文殊菩薩の足元に、大きな獅子の面が彫られていたのが面白かった。説明が丁寧だったので、ここを出た時には、12:00を過ぎていた。ここから、入定地の円空塚があるというので、歩いてみた。長良川に近い、藤棚の下に、円空塚があった。
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近くには、円空の墓もあったが、空墓なので、こちらはパスして、とりあえず、関市内に向かってみた。コンビニがあったので、しばらく休んでから、もう一か所の円空記念館へナビをインプットしたら、62㎞もあるらしいので、断念した。記念館のある、洞戸という場所は、よくよく地図を見ると、距離的には、円空が生まれたとされる飛騨の美並と同じぐらいの僻地だった。無理をしないのが、旅のセオリーだったので、ここで途方にくれてしまった。

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