戦国の名城 大垣城 美濃街道城と寺と邑の旅④

 芭蕉奥の細道結び記念館を見学した後、もう一つの「先賢館」も見学した。幕末で、鳥羽伏見では、幕軍に加わった大垣藩が、激論の末、新政府側に寝返ったので、論功行賞としては、4番目だったらしい。ただし、明治の時代では、後ろめたかったのか、政治では活躍せずに、学問などの分野で、活躍したらしかった。大垣城までは、歩いて15分ということなので、歩いてみた。
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大垣の印象は、恐らく戦災に遭ったのだろう、という感じを受けた、街並みだった。大垣城は、戦前は、国宝だったらしいが、現在はもちろん、鉄筋のお城である。
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遺跡としては、かなり傷んだ史跡だが、何といっても天下分け目の関ケ原合戦で、舞台ともなった城だし、
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その前には、秀吉の「美濃大返し」でも舞台になった城なので、個人的には、名城の仲間入りをさせたいと思っている。
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戦国の初めには、岩村城が重要な城で、終りには大垣城が重要な城だったことは、観光の美濃攻略としても、なかなか有意義だった。金蝶園という老舗の和菓子屋によって、金蝶饅頭を二個買って、お金を払おうとしたら、手形を持っている人は、おもてなしで、無料サービスとのことだった。
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 大垣は、ヴェネチアとは別の意味で、水の都である。金蝶園のすぐ側にも、大手いこ井の泉という名水が湧いていたが、空ペットボトルは、クルマに置いてきたので、パスしてしまった。さらに歩いていると、「守屋多々志美術館」があった。この美術館も、通行手形で入れるそうなので、入場した。守屋多々志は文化勲章をもらった、地元の日本画家だが、恥ずかしながら、知らない画家だった。西洋との接点を描いた作品が多く、「パリスの審判」の絵葉書を、記念に買ってきた。時刻は、すでに14:00を過ぎていたが、最後に、「船町川湊」を見学した。
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戦災に遭った大垣の街中では、とても情緒がある風景で、大垣では、ここが一番良かった。再び、奥の細道結びの地まで戻って、名水のコーヒーをいただいて、最後の最後に、「むすびの泉」の水をペットボトルにいただいた。保健所のお墨付きの名水だった。ここを出発したのは、14:44になっていた。ここからは、高速のような国道を金華山に向けて、東へ向かった。岐阜は、不思議な町で、右手に県庁、左手にJRの駅、という関係になっていた。JR岐阜駅前のホテルに着いたのは15:20だった。パーキングビルに車を停めて、チェクインして、すぐに金華の湯という温泉の風呂に入った。夕食は、駅ビルの方へ行ったのだが、大変だった。というのも、とても立派な造りの街なのだが、全く活気のない街だった。お店へ行っても、何の反応もなく、お客がうなだれて座っていたのを見て、すぐにパスした。結局、ひつまぶしの店で食べた。最初に、抹茶が出るような、凝ったメニューだったが、それなりに美味しかった。ただし、ここも店員さんは一人で、キッチンはロボットのような感じだった。正直な話だと、値段は少々高くても、活気がある方が良いと思った。この日も、大きな月が出ていた。

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