司馬遼太郎の「神様、仏様」

 たまたま、院内トリップで、病気平癒の祈願で、「神様、仏様」にお願いしたことは、何度か話題にした。この度、NHkスペシャルで、司馬遼太郎の「わが国のかたち」という本に基づいた番組を放映していた。司馬によれば、日本は無思想なのではなくて、「無思想」という名の思想がある、との説明だった。自分の考えでは、日本人は、宗教をアイデンティティとしないことが、日本人のアイデンティティだと思っているのだが、このことは、ひょっとして、同じことを表現しているのかもしれない。司馬によれば、神仏習合こそ、日本的だとの説明だった。神仏習合については、つい最近まで、いかがわしい考え方だとばかり思っていた。そもそも、神道というのは、宗教ではなくて、習俗のよう思っていたので、ある程度理論武装した仏教と、相容れないような感じがしていたためだった。しかし、これは、きわめて左脳的な考えであって、「神様、仏様」が、もし、日本人の、奥深いところで感じている「畏れおおいもの」であるとすれば、名前なんかは、どうでもよいのであって、もしそうであるとすれば、神仏習合も、不思議ではないことになる。密教が、仏教であるのかどうかは、それこそ、左脳的な考えであって、どうでもよいのだが、密教における、大日如来は、いろいろな仏に、変幻自在に変化するらしい。必要に応じて、菩薩にもなれば、明王にもなるのだという。だとすれば、日本の神様になっても、何の不思議もないのだが、神仏習合は、どうやら、空海が本格的な密教を日本に伝える以前から、日本人が体感した気配がしていて、とても面白い。
 自分は、空海も密教も、嫌いではないが、名前を付けてしまうことは、どうも自分の「右脳」にはしっくりしないので、とりあえず「神様、仏様」という語呂で、真剣に、日ごろは感謝し、時にはお願いすることにしている。
 

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