法顕が修業した炳霊寺 絹の道仏の道 河西回廊の旅⑧

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 132窟から、ハイライトの169窟へ登った。
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ほとんど梯子のような階段を登りつめていくのだが、手すりをしっかりつかんで、あまり遠くを見ないようにして登れば、大丈夫だった。ただし、自分は大丈夫だったが、一気に登ると、普通の体力の人は、息切れがしてくるようだ。上まで上がると、山に登頂したような達成感があった。
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この窟の感動するところは、法顕の名前と法顕の画があることだろう。法顕はここで、雨安居という修業を3ヶ月してから天竺へ旅立ったらしい。
法顕が 雨安居をする 炳霊寺」(遊仙窟とは 極楽のことか)
 この窟は、 西秦の年号が確認される、中国最古の石窟とのことである。実際に、ここにある仏たちは、ガンダーラ風の仏やマトゥラ風の仏がいるし、菩薩はペルシャ風の女性に見えるほど、インターナショナルな雰囲気の漂う窟だった。この窟は下から見えるので、わざわざ高い金を出して登る必要がなかった、というブログを読んだことがある。見えるのは事実だが、ここでは、お金には替えられないビッグな感動を受けることができた。法顕の字はかすれ、法顕は白い衣が分かるだけだったが、近い将来は、風雨にさらされる場所にあるので、これさえも分からなくなるのかもしれない。隣の172窟(西魏)は、極彩色の光背が、下からも確認できるほどきれいな窟だった。立派な仏たちが我々を迎えてくれた。
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急階段を下りてきて、不思議な気持ちになった。たしか、あの窟は、大仏の上にあったはずなのに、大仏を見なかったな、ということだった。それもそのはず、そろそろ修復が完成して、お顔が拝見できると期待していたのに、実際は緑のネットに包まれて、残念ながら、想像するしかなかった。対岸へ橋を渡ると、大仏が見えるビューポイントなのだが、いささか今回は、興ざめだった。
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最後に、水没から救われた16窟の涅槃仏が、涅槃堂に祀られていた。とても穏やかな顔のお釈迦様で、心が洗われるようだった。帰り道に、ヒメシャジンなど、秋の花が咲いていて、ここが高原の場所であることを思い知らされた。帰る途中に、姉妹峰などという名所もあったが、仏様の前では、これらの絶景も色あせて見えた。炳霊寺の観光はこれにて終了。熱心に見学したので、ボートの出発は14:00近くになり、船中はほとんど寝ていた。例のレストランを出たのが17:10で、ここからひたすらにもと来た道を戻ったのだが、頭が興奮していたのか、見てきた仏たちを反芻しながらの帰り道だった。帰りの途中で、蘭州のコンビナートの近くを通った。確かに、大工業地帯で、この煙と、排気ガスとこの地形では、スモッグが晴れるのは、なかなか難しそうに感じた。この辺りまでは快調だったが、市街地でやはり、日曜日にもかかわらず、大渋滞で、結局ホテルへ戻ったのは、19:00だった。
今回の旅では、テレビは一切見なかった。しかし、西安ではデモで荒れているという情報は、TCから聞かされていた。サービスなのか、嫌がらせなのか、分からなかったが、戻った部屋に「蘭州新報」という新聞が置いてあり、トップにデモの大きな写真が載っていた。
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目を通す気分にもなれなかったが、せっかくのサービスなので、話のタネに、新聞の写真だけを撮って、ごみ箱に捨ててしまった。今回のツアーは、食後の談義が盛り上がるのだが、この日は、横山氏の安土桃山文化は、ヨーロッパのバロックの影響である、という説を拝聴した。

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