マルコポーロの街 張掖 絹の道仏の道 河西回廊⑪

 9月18日 六日目 この日もロングランなので、8:00に出発した。恒例の横山TCの朝の講義は、マルコ=ポーロだった。マルコは日本をジパングと紹介したが、これは中国江南地方の日本を表すジーベンから来たものだろうと、断定していた。この講義の後、待望の喜多郎のCDを流してくれた。風景も、ようやくシルクロードらしくなってきた。
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道は、やや乾燥した草原で、遠くに祁連の山脈が見えて、ムードは最高だった。そのうちに、右側に土塀のようなものが見えてきた。
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直感的に、これは長城だ、と思った。土塀はだんだんと長く連なってきて、長城らしい雰囲気となってきた。古色蒼然とした長城なのだが、これは漢代の長城ではなくて、明代の長城との話だった。曹さんの話だと、長城は版築で造り、矢が立たないほどの固さだったとか。しかし、土の少ないこの地方では、長城の土を畑などに利用したので、破壊が進んだとか。同じような話は、トルファンの高昌故城でも聞いたような気がした。興奮して、カメラとビデオを回したが、一番は自分の眼で見ることなので、思い直して、後半は喜多郎の音楽を聴きながら、シルクロードの情緒にたっぷり浸ることにした。涙ぽろぽろとまでは行かなかったが、じっくりと涙がにじんでくるような感動を覚えて、はるばるシルクロードに来て良かった、としみじみ思った。長城と高速とが交差する山丹というところで、写真ストップをした。近くには壊れかけた烽火台
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が、遠くには祁連山があり誰しもシャッターを押し続けていた。11:35に張掖に着いた。張掖は、金の張掖銀の武威と讃えられたオアシス都市だ。しかし現代は、それほどの個性もなくたたずんでいる感じだった。街の入り口に鐘楼のようなゲートがあったが、これは歴史的には、新しいもののようだった。大仏寺は入り口の丸い門をくぐると、日光の陽明門のような派手な山門があった。
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釈迦が眠っている大仏殿はなかなか品のある良い建物なので、多少の違和感はあるが、中国らしいといえば、中国らしい。ただし、大仏殿
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の後ろにラマ教のタルチョがはためいている
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のを除けば、それほどシルクロードらしい景色とも思わなかった。ともあれ、あのマルコポーロが見たに違いない、涅槃仏を早く見たかった。「東方見聞録」は、色々な評価がされているようだが、彼が中国まで来たことは間違いないだろうし、その一番の証拠がこの張掖の大仏の記述のように思う。彼は、その本の中で「偶像教の…無数の偶像が安置されている。これら偶像の中には、実際に十ペースにも及ぶ巨大なものがあり、…一様に塗金されて、細工もなかなかすぐれている。巨像は横臥の姿勢をとり、その周囲には、うやうやしくこれにかしずいている多数の肖像が取り巻いている」と述べている。十ペースという長さは15mぐらいで、実際の涅槃物は35mなので、数字的には合わないのだが、彼が肌で感じた数字ならば、納得できるだろうと思う。とにかく、巨大なお釈迦様と対面した。
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正直な話、敦煌には行く機会があるかもしれないと思っていたが、張掖となると、行くチャンスがあるのか、なかなか難しかっただけに、感激もひとしおだった。個人的には、しばしのひと時、この大仏様との時間を共有したかったのだが、ツアー旅行の悲しさで、そこそに移動してしまったのが残念だった。大仏は、かつて写真で見たイメージとまったく同じで、間近で見ると、けっこう大きな目を開いていた。正しくは、半眼なのだが、巨大な目なので、大きく感じたのかもしれない。
涼州や 仏陀とポーロの 大シェスタ」(六百年も アッという間か)
大仏の周辺には、釈迦の十大弟子などももいたが、一番に注目を引いたのは、西遊記を描いた画だった。孫悟空は、敦煌の壁画にも描かれているが、ここの画には猪八戒が準主役のような形で描かれていた。ところで、孫悟空は、玄奘よりも120年ばかり後の実在の人で、インドへ行って、そちらで仏門に入り、中国へ戻ってきた人だ、という話を、どこかの学芸員が話していた。一般には、ソグド人の石槃陀ということになっているようだが、どちらにしても、孫悟空は小説の話しだろう。それはともかく、この画は、小説「西遊記」よりも、はるか昔の画である。大仏を一回りすると、足元へ出た。巨大な足の爪は、なんと私の頭よりも大きかった。この仏には、風穴が開けられているのも、なかなか興味深かった。もう一度、マルコポーロを偲んでから、大仏殿を出た。裏に博物館があり、乾隆帝の額があった。ほかには、天梯山石窟のレプリカがあり、お下げ髪の菩薩が少女のようで可愛かった。もう一点、思惟菩薩のスタイルで、とてもリラックスした仏がいて、これもなかなか面白かった。この場所に、シルクロードの地図があった。シルクロードは好きなので、何度も地図は見ているはずだが、全てのシルクロードは、張駅で一本にまとまっていることに初めて気がついた。従って、全てのシルクロードを歩いた求法僧や商人たちは、必ず張掖(涼州)を経由して、西域へ行ったり、西域から来たりしたことになる。法顕は、鳩摩羅什のいた武威を迂回して、南の西寧からこの街に入ったし、この街に1年滞在したマルコポーロは、ここから、北へ針路をとって、大都へ向かったはずである。ところで、マルコポーロ1年滞在の謎だが、フビライよりストップをかけられたそうで、元寇で大都がてんやわんやしていたからではないか、というのが横山説だった。寺の一角に、シルクロードの植物である苜蓿(クローバー)が生えていた。
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