回復への応援歌

 笑うことは、魔法の力があるらしい。川柳を思いついたのは、家を出て、「雪を踏み リュック背負って 旅もどき」という句を思いついた瞬間だった。どうせ、永い時間との闘いなので、少しでも、時間を遣って、不幸を笑い飛ばすことができれば、一挙両得になると思った。これは、退院前日の句だが「川柳の 笑うことなり 薬なり」であり「病室も 笑う部屋には 福が来る」のだと思った。入院して、2日目に24の句ができたので、このペースなら、百句を作れば、自分のやまひも良くなるような気がしたので、「川柳を 百句作るぞ 願掛けに」ということで、ますます盛り上がった。
 オペレーションの前夜に、思ってもみなかった、そそうをしてしまった。「びっくりポン 生まれて初めて ナースコール」できるだけ、他人様には迷惑をかけないことを、信条とはしているものの、本当に困った時には、素直に甘えることも、大切なことを実感した。世の中で、本当に困っている人は、やはり、それなりの身近な人や、それなりの機関に、相談することは、大切なことだと思った。
 オペレーション当日。「出発は 軍歌のノリで 歩き出す」のだが、この軍歌のメロディーは「勝ってくるぞと 勇ましく…」のノリだった。大事の時は、まな板の鯉なのだが、何となく「大事には 時が過ぎゆくままの メロディーが」頭の中で、流れていた。もう一つ、テレサテンの「その時も 時の流れに 身を任せ」というメロディーも浮かんできた。もちろん、「神様や 仏様など 念じつつ」だった。自分は、一神教の信者ではないので、この神様は、ゴッド=アラーではないのだが、一般的な八百万(やおよろず)の神ともまた違う。一番近い感覚では、神様と仏様を兼ねたような存在の、大日如来様に近いのだが、100%のこの系統の信者でもないので、このような感覚の、自分にとっては、畏れ多い方のことを、たまたまこのように表現したと思っていただきたい。実は、この後に、ご先祖様を代表して、お母様などにも、お願いしたのだが、数日後に、重要なことを忘れていたことに気が付いた。「神様仏様 先生いうのを つい忘れ」要するに、ドクターに、お願いするのを、ついうっかりしていて、この日からは、神様仏様の次に、ドクターにもお願いすることを忘れないようにした。気が付いたら、「眼が覚めて ほんわかムードに ホッとする」オペレーションは、眠っている間に、順調に推移していた様子だった。「大モニター ちらりちらりと 色を見る」モニターの色が、真っ赤だと、心配だが、何となく順調に感じた。「オペレーション 終わった時刻は 十時半」この時刻は、ほぼ想定の時刻だったので、安心した。実は、今回のやまひは、父とおなじやまひで、聞くところによると、大オペレーションだったらしい。自分の場合は、「親父より 負担が軽い 新技術」で、科学技術の進歩には、ただただ感謝するのみである。正しくは、ベッドで、病室へ移動したのだが「ストレッチャー 廊下の走りは 高速道」のようで、目が回るほどのスピードに感じた。部分麻酔だったので、しばらくの間、感覚のない時間があったのだが、これは、母の長い生活とダブり、母への思いを強くした。「寝たきりの 母の障害 よく分かり」思えば、母は事故だったのだが、長い長い闘病の生活だった。初めて、水を飲んだ時は、胃腸の喜びが、半端ではなかった。「ごっくんと 水は喜び 腹かけまわる」苦しい時には、楽しい目標を夢見ることにした。「目標は キリマンジャロか 薬師岳」翌日には、グレートトラバース2の再放送をやっていた。「仙人池 我も陽希に 励まされ」だった。それにしても、自分のオペレーションは、1番最初だったので、とても助かった。「朝一番 オペレーションは 福の順」だった。前にも紹介したが前日は「オペレーション 琴快進撃に 励まされ」だったし、翌々日は「錦織の 快進撃に 我にこり」でもあった。当日は、「大勝負 昨日井山で 今日は我」だったのだが、「大勝負 井山勝ったと 後で聞く」この大勝負の結果を知ったのは5日後だった。しかし、井山の活躍も、自分をとても元気づけてくれた。一般的には知られていない、井山裕太の奮闘ぶりをレストランで妻に「熱っぽく 井山の偉業を 語るなり」したのだが、本当は、「家の神 感謝感謝の 福の神」なのだった。井山には、その後も「《不屈の精神》 井山の見出しに 励まされ」たりもした。ところで、大相撲は「イナバウアー 琴バアアーまで 十年目」の快挙だった。同時進行で、サッカーU23アジア選手権が、ドーハで行われていた。時間的に、観ることができなかったので、「テレビ断ち ドーハへ送る エールかな」という方式で、このことも自分の力にした。「欲望の おきて破りは 封印す」これも、ほぼ同じ意味の句である。
 このほかでも、些細なことを自分の力にすることにした。「鷹巣雲取保仁田山 登った山に 励まされ」病室からも、廊下からも、奥多摩の山々が、はっきりと見えていた。ニュースで、北陸新幹線のルートを知ったのだが「鯖街道 新幹線も 走るなり」で、鯖街道ドライブも、次の目標なのであった。そして「両陛下 比島訪問 三十日まで」というニュースがあった。この時点では、退院の日付は未定だったのだが、何とか、30日までには、退院したいと、切に願ったことだった。

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