玄奘の道 絹の道仏の道 河西回廊⑰

(都合で、嘉峪関から瓜州までを、ワープしてしまったので、前半がこの部分、後半はさらに敦煌へのルートです)
 昼食は、嘉峪関の市内でとった。名前とは裏腹に、ゴビタンにできた工業中心の新興都市である。この工業都市には東北地方出身者が多いので、餃子がおいしい、とのことだった。次が、安西ともいわれる瓜州である。古い資料には安西とあるが、中国語の発音で、縁起が良くないので古い名前に戻したらしい。しかし、この瓜州は玄奘のルートにとっては、重要な街だった。というのも、唐代の玉門関がこの辺りにあったからだ。
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そして、五つの烽火台を通過する時に、渇死寸前になった有名なエピソードも、今バスで走っているこの辺り、ということになる。玄奘は、もともとの予定が天山北路で天竺へ向かうはずだったので、行きには敦煌へは寄らずに、伊吾へ向かったはずである。
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多くの玄奘関係の地図は、現在の玉門関を通ったことになっているが、このルートだと、敦煌を通ったことになるので、これは明らかな間違いである。そういえば、瓜州への途中休憩した場所が玉門だった。途中でヤルダン地帯を通過した。
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新疆のヤルダンに比べれば可愛いものだが、なにせ玄奘の通った道なので、ちょっと感傷に浸ってみた。
ヤルダンや 玄奘の道 風寒し」(古驢馬法師を 導きにけり)
17:05に瓜州賓館へ着いた。もちろんデザートには、瓜が出た。
9月20日 八日目の後半 瓜州から敦煌への道は、まったく古代のシルクロードと同じだそうで、200回もシルクロードへ来た横山氏は、ここが一番シルクロードらしい景色だ、と話していた。
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法顕の「空に飛ぶ鳥なく、地に走る獣もなく、ただ枯骨を道しるべとした」という場所は、タクラマカン砂漠だと思うが、雰囲気は上々だった。因みに、玄奘は帰り道でこのルートを通ったらしい。
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峠を下ると、瓜の露店が並んでいた。
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通常われわれはハミ瓜と称しているものは、瓜州の瓜だそうで、ここは本場中の本場、ということになるようだ。時期はやや終わりかけていたが、4種類あるというハミ瓜のうち、3種類を食することができて、幸せだった。黄色くて、歯ごたえのある瓜は、一番有名な瓜らしかった。白くて甘い瓜は、ほとんどマスクメロンと同じ味がした。オレンジ色で、果肉がやや薄い瓜が、一番甘かった。今回の旅では、この前後で、沢山の瓜を食べる機会があったが、ここの露店で食べた瓜が、一番みずみずしくて美味しかった。他には、干した瓜が並んでいるのが珍しかった。
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瓜食えば のどがなるなり 絹の道」(昔の旅は 水筒がわり)
 ここから敦煌まで、右にはゴビタンが左には三危山が続いていたが、
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前方に、それよりも低くて淡い色の鳴沙山が見えてきた。徐々に緑色が増えてきて、敦煌のゲートをくぐった。並木が繁るメインロードの中心に、反弾琵琶のモニュメントが見えた。
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予定では、ホテルでのシェスタだったが、TCの提案で、オープンしたばかりの敦煌博物館を見学することにした。レプリカが多かったが、敦煌の歴史を大観できる仕組みになっていた。一番のものは、莫高窟から発見された北魏時代の仏塔とのことだった。古い形の如来がレリーフされたものだった。

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