河西回廊の果て 陽関 絹の道仏の道 河西回廊22

 9月22日 十日目 いわゆるラス前の日である。西安へのフライトが午後便、ということで、陽関の観光が組み込まれていたのだが、これもTCの提案で、西千仏洞に寄ることになった。8:00にホテルを出て、西千仏洞が近づくと、西の方に天然の寝釈迦仏が見えてきた。
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見た目には、阿蘇山の寝釈迦仏が立派に見えるが、古代はここが聖地だったらしく、ここに石窟を掘ったのだろうと思った。入口には誰もいなくて、しばらく曹さんが大声で呼んでいると、おっとり刀で、管理人がやってきた。入口を入り、3窟(唐)から、見学した。
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いきなり、ビッグサイズの飛天がいてびっくりした。塑像は、彩色をしていたが、これがいかにも漫画チックで、これが一番印象に残った。5窟(北魏)くま取りの飛天を見た。この窟は、千仏は乱れて並んでいたが、何と言ってもラピスラズリの青が印象的な窟だった。6窟(北周)いろいろなスタイルの飛天がいて楽しかった。特に、お腹のちょっと出た飛天が楽しかった。7窟は西魏の窟だが、五つの時代の作品が見られた。大きな口を開けた西夏の従者(涅槃仏の)スカートから片足を出した隋の飛天、そして宋の美菩薩。ここが、敦煌しいては甘粛省石窟の最後なので、本尊の如来様に心から、お祈りをした。
 陽関のイメージは、ゴビタンの中に、孤独な烽火台だけがぽつんとあるイメージで、井上靖氏の時代は、そうだったのかもしれない。しかし、嘉峪関でも書いたが、関の目的の一つは、水を守ることで、陽関も、畑や家のある立派なオアシスだった。それだけなら、まあ良かったのだが、現在は、100%のテーマパークに変貌していた。この日は、運が良かったのか、悪かったのか微妙だが、台湾の連戦氏が、訪問するらしくて、正装した美女たちも、勢ぞろいしていた。
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9:50に陽関テーマパークに到着した。
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セットのような陽関城に入場して、電気カートで、烽火台まで走った。
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烽火台の前には、王維
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を記念する建物がずらりずらりと前をふさいでいて、そこからようやく、タクラマカン方面が見える仕組みなのだが、そこにも新しい四阿が造られていた。まあ、文句を言っても、自分が損をするだけなので、気持ちを統一して、いにしえの旅人の気分に浸ることにした。
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遥かなる 熱砂の続く 絹の道」(タクラマカンは 陽炎のごと)

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