熊本城へエール

 「城と城下町」という本がある。実は、山と渓谷社が、発行していたカラーガイド(H51年の版)の一冊の名前である。今回の「H28熊本地震」において、あの熊本城が被災してしまった。「城と城下町」には、全国57の城が紹介されているのだが、この本の最後の紹介の城が熊本城である。熊本城で一番大切な場所は、天守閣ではなくて、宇土櫓ではないかと思っている。
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その証拠には、先の、カラーガイドの写真は、当然の如く、宇土櫓を主役に、天守閣は借景として配した写真になっている。熊本は、秀吉の時代に、北肥後が加藤清正、南肥後が小西行長に与えられた。この時に、清正が築いたのが熊本城であり、行長が築いたのが、宇土城だった。この両名は、関ヶ原合戦の時期に、清正が東軍、行長が西軍として戦い、清正が勝った。従来の説では、この時の、宇土城を、現在の熊本城に移築したのが現在の宇土櫓、と言われていた。現在、この説には疑問符が付いているといわれているが、熊本城の中で、古建築として一番に価値があるのが、この宇土櫓であることは、今も間違いはない。熊本城が被災した、というニュースが流れた時、一番気になったのが、宇土櫓の様子だった。天守閣や、長塀、飯田丸櫓などの被災は、いち早く報道されたが、一番肝心要(自分ではそう思っている)の宇土櫓の情報は、最初の地震から、なんと1週間も過ぎていた。報道では、全ての重文建築に重大な被害が出ている、との報だったが、宇土櫓に関しては、天守閣が無残な姿をさらけ出しているのに対して、表面上はほとんど変わらない姿で、凛と建っていたので、ほっとした。一本松ではないが、あのような姿は、地元の人を勇気づけると思うので、マイナス表現ばかりしないで、プラス表現の報道もぜひ頑張ってもらいたい。熊本城は、S39年とH23年に二度訪れている。天守閣がコンクリートで再建されたのがS35年、本丸御殿が木造で再建されたのがH20と言うことなので、幸運にも、熊本城の「青春」の時代に訪れていたことになる。今後、天守閣の復元が、どのようになされるのか、微妙だが、一説には、コンクリートの天守閣は重すぎるので、木造の天守閣が望ましいらしい。今回の被災は、10年とも20年とも言われているが、もし、元気なうちに再建されたならば、3度目の熊本城の「青春」を再訪したいと思う。

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