シルクロード始めの終り 絹の道仏の道 河西回廊24

 今を去る11年前の2001年7月24日、西安城の西の門から、一本の道が見えていた。
緑陰が シルクロードの 初めかな」(訪ねてみたい 沙漠の果てを)と詠んだシルクロードの旅が終わった。沙漠の果てには、カシュガルという街があり、さらにその先には、パミール高原があった。昨年の春、カラクリ湖という玄奘三蔵が天竺からの帰りに通ったであろう湖まで、旅をしてきた。世の中に、“画龍点睛を欠く”という言葉がある。中国のシルクロードを旅した時、敦煌に行かなかったのは、ツアーの都合とはいえ、点睛を欠いたのは間違いがなかった。今回の旅の目的は、この点睛を描き、11年前の西安と昨年のタクラマカン沙漠とを結ぶ、ミッシングリンクを旅することだった。そのミッシングリンクの名前を、河西回廊と言った。河西回廊中心の街、酒泉(粛州)には鐘鼓楼があった。ここに掲げられている「東迎華嶽」「西達伊吾」「南望祁連」「北通沙漠」
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という扁額を、時間の関係で、ぐるぐる回った。河西回廊は、まさにこの四つの旅の具現だった。西安は、黄河最大の支流、渭水に発達した都である。古来、旅人が西に向かう時に、この渭水を遡ったことは、まず間違いがないように感じた。そして、この渭水の畔こそ、今を時めく中華帝国の発祥の地であることを、今回の旅で、確認した。中華の華とは、宝鶏の郊外に聳える西嶽崋山のことで、「華嶽」とは、ここのことである。玄奘も、旅立つ時、この山を仰いで天竺へ向かったのではないだろうか。そして粛州から「伊吾」へ向かったはずである。今回の旅では、鳥鞘嶺という峠を越えた。
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ここは、祁連山脈の一角であり、ここを越えると右にゴビの「沙漠」、左に「祁連」の山脈を望みながらの、旅となった。シルクロードは、張掖(甘州)→粛州→瓜州の間だけ、いわば単線道路になっている。どの旅人も、この区間だけは歩いてか、あるいは馬か駱駝に乗って旅をしたことになる。甘州では、マルコポーロが一年も足止めをした街である。甘州大仏寺の寝釈迦仏は、マルコの時代と変わらずに、半眼で我々を迎えてくれた。そして、シルクロードは、仏教東遷の道でもあった。歴史において、法顕と鳩摩羅什とのニアミスは、永遠のIFである。今回の旅では、炳霊寺で法顕の足跡を感じ、武威と敦煌では、鳩摩羅什の足跡を感じた。今回、強く思ったのは、シルクロードの終点は、長安に非ず、飛鳥・奈良だったということだった。炳霊寺には、飛鳥大仏や、法隆寺の釈迦如来にそっくりの仏たちがいた。麦積山には、広隆寺や中宮寺の弥勒菩薩そっくりの仏さんたちがいた。また華麗な莫高窟の菩薩の中には、今はもう焼けてしまったが、法隆寺金堂の壁画にそっくりの菩薩様がいた。言うまでもないが、ここにはそっくりの飛天もいた。法隆寺の玉虫厨子には「捨身飼虎」が描かれている。あの玉虫厨子の絵柄だけでは、なかなか分かりにくい。しかし莫高窟428窟を観ると、このことがよく分かり、本当に感動する。
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ひょっとして、一番うれしかったのは、莫高窟45窟かもしれない。美観音を見たからではなく、あの窟に、観音様のスーパー三十三変化を見たからである。当たるも八卦、当たらずとも八卦ともいうが、自分は、ある寺の観音様に、いつも感謝している。お願い事も多々するが、まずは、いつも感謝している。観音様があのようにスーパースターであるならば、本当にうれしいと思う。今度の、「河西回廊と甘粛省石窟めぐり」も観音様への感謝で、締めくくりとしよう。本当にありがとうございました。

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