深田百名山の真実

 先日、日本百名山の一角である、木曽駒ケ岳に登ってきた。自身、木曾駒への登頂は、三度目なのだが、登山記がなかったので、再々チャレンジした、ということだった。山の売店で、日本百名山のれん、というものを、売っていた。山の名前、簡単な紹介があり、山バッジをつけることができるとも書いてあった。厳密に点検したわけでもないのだが、絶対に間違っている、と思われるものがあった。それは、百名山の中に、韓国岳というものが、闖入されていた。これは、似非深田教の信者が、二百名山なるものを勝手に制定して、元祖の日本百名山を歪曲したことを、のれん業者が、そのまま、信用してしまった、ことによるようだ。
 自身は、断捨離の年代でもあるのだが、読みたい本を我慢するのも、精神衛生上良くないので、微妙なのだが、昨日、立川の書店で、深田久弥著「名もなき山へ」を衝動買いしてしまった。その主な理由は、昭和十五年版日本百名山が、載っていたことだった。戦争の影響なのか、わずか20回、20座で終わっているのだが、同じ日本百名山であるにも関わらず、内容は、ずいぶんと変化していた。その代表が、昭和十五年版では、赤岳となっているのが、昭和三十九年版では、八ヶ岳となっているようなことである。簡単に言うと、十五年版は、主峰の美しい姿を名山、としているのに対して、三十九年版では、山塊を大きく名山と、とらえている。ちなみに、赤岳も(八ヶ岳)とは書かれているのだが、興味深いのが、宝剣岳(木曽山脈)
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、高田大岳(八甲田山)、高妻山(戸隠連峰)という名山が、十五年版の百名山に入っていた。ついでの話に、現在の三十九年版にはなくて、十五年版に載っている日本百名山は、岩菅山、太郎山、湯ノ丸山の3座である。解せないのは、三十九年版の後記に、百名山に遜色のない山々を列記しているのだが、その中に、岩菅山はあるものの、太郎山と、湯ノ丸山を無視しているのは、いかがなものかと思った。
 少しわき道にそれたが、三十九年版日本百名山で、不思議な写真が、2枚あった。1枚は、木曽駒ケ岳の写真で、写されているのは、千畳敷から見た宝剣岳の姿だった。もう一枚は、霧島山の写真で、写されているのは、高千穂峰なのだが、今回、改めて十五年版日本百名山を読んで、その謎が氷解した。要するに、三十九年版は、大きな山塊を名山に指定しているので、その中の名ピークを写真に載せることは、何の問題もない、ということである。ところで、十五年版日本百名山の冒頭に登場するのが、この高千穂峰だった。してみると、赤岳(八ヶ岳)、高千穂峰(霧島山)という関係になるので、どこをどう読んでも、韓国岳は、霧島山の最高地点ではあっても、日本百名山ではないはずである。
 ちなみに、日本百名山バッジ、というものがある。できうれば、深田の山名表記と同じバッジがあれば良いのだが、なかなか難しい場合もある。雌阿寒岳や、雄阿寒岳のバッジはあっても、阿寒岳のバッジはない、というようなものである。大菩薩嶺だけは、おそらくは誤植だと思うのだが、中里介山の『大菩薩岳』が出て、とされているのは、おそらくは『大菩薩峠』の間違いなのではないだろうか。地図や目次には、大菩薩嶺とあるのに、本文だけが、大菩薩岳というのは、不思議なのだが、現在は、その両方の山バッジが売られていた。

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