岸壁の浮彫 ナクシュ・ロスタム イラン歴史の旅 ペルシャ秋游⑪

 ぺスセポリスの近くのレストランで昼食(イラン式チャーハン)を取った。午後の初めは、ナクシュ・ラジャブ見学だった。どこに遺跡があるの、という感じの不思議な遺跡だが、ササン朝ペルシャ時代のレリーフで、ディバ氏によれば、新聞やテレビのない時代の、王様のCМとの話だった。レリーフは、左から将軍、リングをもらっている王様(シャープール1世)、リングを渡すゾロアスター教の聖職者が描かれていて、ゾロアスターの信仰がよくわかった。
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同様のレリーフが他に3点あった。その次が、ナクシュ・ロスタムで、こちらの方は、かなりスケールが大きかった。アケメネス朝の遺跡が5点、その他は、ササン朝のものだった。この遺跡は、昔の「王の道」の真ん前に彫刻されたもので、アケメネス朝の天文台(ゾロアスター神殿)を除けば、残りは、すべてが岸壁彫刻だった。やはり、王様の墓4点(大王を中心に、右が修復中の子、左が孫、その左がひ孫)が特にその中心で、中には、ミイラ化した遺体を入れた、との話だった。
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全体の形が、十字架の形をしているのは、ゾロアスター教の4つの元素(火・水・土・風)を象徴していて、そのスタイルが、ペルシャ式モスクに受け継がれている、とのことだった。この墓の下部には、ナクシュ・ラジャブと同様のレリーフ
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が彫られていて、一番奥のものに至っては、アケメネス朝のものの上を、新たに彫り直したものまであった。ここには、拝火教の聖なる火を灯すミナレットがあり、これがイスラム建築に取り入れられた、と説明していた。
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ナクシュ・ロスタムには、5点のアケメネス朝の遺跡と、その他は、ササン朝のものだ、と先に書いたが、もう一つ例外があった。それは、岸壁に彫られた、四角い穴である。
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これは、ゾロアスター教の、鳥葬よりも古い形式の墓なのだそうで、そうであるとすれば、歴代の王様の墓も、先祖返りした、ということになりそうである。ところで、子供の頃の二つの謎が、今回の旅で解けた。一つは、天国と地獄という似た思想が、仏教とキリスト教にある理由なのだが、どうやら、起源がゾロアスター教であるらしい。もう一つは、MAZDA自動車は、社長の松田に由来していることは当然だが、どうしてZなのか、という疑問だった。これは、ゾロアスター教の最高神、アフラ・マズダに由来するらしい。これで、中東の3P(ペルセポリス、ペトラ、パルミラ)をすべて制覇したが、正直な話、出発の前日まで、3Pの存在は知らなかった。今回の旅で、大阪から参加した二人娘の内の一人が、やはり3Pを達成したと、喜んでいた。さて、再び、もと来た王の道をシラーズまで戻ったが、道中は、夕立のような雨が降っていた。15:00ごろに、シラーズ市街に戻り、サービスの追加観光で、ハムゼ(8代イマームのいとこ)廟を見学した。女性にチャドルを強制する条件で、内部を見学した。前庭は、お墓広場
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で、お墓の上を歩いてモスクへは、靴を脱いで入る、というスタイルだった。モスクの中が、鏡のモザイクばりなので、まるで、万華鏡のような美しさだった。
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礼拝後には、ティーと茶菓子の接待がある、という不思議なモスクだった。これは、イスラムへの勧誘を込めた「お接待」らしいのだが、昔は、説教もあったらしいが、最近、止めたとのこと。帰りの車窓から、お城が見えたのだが、調べてみたら、キャリーム・ハーン城塞というもので、その名の王様の居城だったらしい。
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買い物組を除いて、16:00にはホテルに戻ることが出来てラッキーだった。ホテルの夕食後のティーに、巨大な、氷砂糖のキャンディーが出てきて、びっくりした。これにて、紅茶をかき回すとのことだった。

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