鴎外の故里 津和野城下 ぐるっと長州 秋游⑩

 津和野城址からの眺めは、安野画伯でなくとも、絵を描いてみたくなる絶景で、自分も筆をとってみた。
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詩人さだまさしは、津和野城からの絶景を見て「案山子」の曲想を得た、とのことだった。結局、1時間半ばかり、山城の楽しさに酔いしれていた。往きはつまらなかったリフトは、帰りは、景色は良かったのだが、結構急で、怖かった。お昼が近かったので、津和野の街
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に戻って、ガイドブックに乗っていた紅葉(くれは)というカフェに車で乗り付けた。殿町のど真ん中にあるレトロなカフェという触れ込みだったが、何の変哲もないカフェで、おまけに、めちゃめちゃ混んでいて、危うく帰る寸前に、注文した和風ビザが出る始末だった。
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このカフェは、「石見たび」という、当地の公式ガイドブックにも載っているのだが、不可解な店だった。午後は、予定していた、森鴎外記念館へ行った。
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立派な施設で、前半は、鷗外が11歳で上京してから、医者と文学者という二つの道を成し遂げた生涯を、俯瞰した内容の展示だった。後半は、津和野時代の鷗外について、作品を中心に展示していた。彼の一家は、家を売り払い、上京してから、鷗外は1度も故郷の津和野に帰らなかったらしい。鷗外は、海外留学が夢だったらしいが、成績が最上位ではなかったので、その夢を適えるために、陸軍に入った、とのことだった。小倉に勤務していた時代があり、山陽路は、何度も往復していたので、津和野町長が懇願して、故郷に錦を飾る約束までしていたらしいのだが、結局、死んでからになってしまったのは、他人事ながら、残念なことだった。墓は、郊外の永明寺にあるようだ。ただ、石見人としてのアイデンティティはあったらしく、石見人森林太郎として、故郷に葬られるのが、遺言だったとのことで、その意味では、死んでから願いが適った。鷗外の、「舞姫」のエピソードは有名なので、記念に、文庫本を一冊、ゲットしてきた。最後に、鷗外の生家を見学した。森鴎外の旧居は、国の史跡でもあるのだが、家は、一度移築したものを、再移築して、もとの場所に戻したそうで、その意味では、幸せな家、ということができるかもしれない。日本の家屋は、木造なので、保存されることが少なく、こうして遺構として残されたのは、本当に良かったと思った。中では、鷗外が勉強した部屋が、あり、興味深かった。時間的には、安野美術館へでも行けばよかったのだが、美術館は疲れるので、パスして、道の駅に行った。ここには、石見の国のパンフレットなども置いてあったので、先に情報をもらえばよかったかなと思った。16:00過ぎに、オーベルジュの宿に入った。久しぶりの、洋食だったが、抜群においしかった。写真を撮り損ねたのだが、スイートポテトのスープは、中央に八角形の星の形が表現されていて、楽しい趣向だった。味は、それ以上に美味しく、和食続きだったので、とても良かった。食後のコーヒーは、ラウンジでいただくというシステムで、オーナーの夫妻と話が弾み、楽しいひと時を過ごした。話題の一つに、益田出身の、神田英九段の、若き日の武断話などを聞いた。松江までは、4時間ぐらいかかるとの、耳寄りな情報を聞いた。4時間あれば、九州まで旅行できるので、同じ島根県内とは言っても、今のところは、微妙な話だと思った。ちなみに、現在は、無料高速が続々と建設中なので、松江まで、3時間という時代は、近いうちに実現しそうである。ここ津和野から、東京に行く場合には、宇部空港から上京するとの話も不思議に感じた。近くに、ご当地の、萩・石見空港があるからである。テレビはなかったが、たまに汽車の走る音がしていた。

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