史跡下関 壇之浦 前田砲台跡 ぐるっと長州 秋游の旅④

 竜宮城のような真っ赤な赤間神宮が見えてきたので、参拝用駐車場に車を停めた。
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司馬遼太郎によれば、赤間関が赤馬関になり、馬関になったらしいのだが、それよりも、赤間神宮は、江戸時代までは阿弥陀寺だったという事実が、衝撃的だった。明治維新後、廃仏毀釈があり、お寺からお宮になったとのこと。奈良で、興福寺の多くの僧侶が神官になった事実を、思い起こされるが、明治維新の、「ある側面」に違いない。下関の海岸線をドライブしていたら、М子が「本州の最果てね」とぼやいていたが、下関は、特別な場所なので、歴史的に、重要な場面が多い。赤間神宮は、壇ノ浦の戦いで入水した、安徳天皇を弔う聖地である。朱色の楼門は「浪の下にも都がさぶらふぞ」の竜宮城と考えれば、とても合点がいく。神宮を参拝した後で、安徳陵に参ったら、確かに「阿弥陀寺陵」が正式な名称だった。
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ここから、とてつもなく巨大な関門海峡大橋が見えていた。あまりにも巨大なために、すぐに着きそうでなかなか、遠かった。関門海峡大橋の先に「みもすそ川公園」があった。ここに、幕末に、攘夷を実行した、長州砲のレプリカがあり、ややミーハーとは思ったが、そちらまで行ってみた。
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ここには、義経と知盛のモニュメントもあった。
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時刻が、限りなくお昼が近づいていたので、お店を探した。火曜定休が多く、ようやく壇ノ浦町のハズレに一軒のカフェを発見して、「お昼」を食べた。
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食後に、コーヒーも飲めたので、なかなか良かった。そして、最大の収穫は、ここで、色々な話を聞けたことだった。また、司馬遼太郎を出して申し訳ないが、彼が21世紀に残したい風景の一つに「岡崎旅館の裏から見た風景」があった。
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カフェの女将に、岡崎旅館はどこにあったんですか、と聞いたら、目の前のマンション群の端にあったとのことだった。ここのカフェからは、かろうじて関門海峡が見えていたが、景色の大部分は、マンション群に、完全に封鎖されていた。環境条例は、あるんですけどね、と寂しそうにおっしゃっていた。正直な話、あのような歴史的景観を守れない、というのは、日本の情けないところだと思う。この後、神宮のすぐ隣にある春帆楼へ行った。正確には、その敷地内にある「日清講和記念館」を見学した。昔から、歴史の教科書には、必ず載っていた、伊藤博文と李鴻章の講和の写真だが、雰囲気を味わっただけでも良かった。
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ここから、李鴻章の道という、散歩道が良かった。ホテルに戻るには、まだ早かったので、もう一度、前田砲台跡にチャレンジしてみることにした。看板があることは、情報で知っていたので、恐る恐るゆっくり走って行くと、果たして、前田砲台跡の、赤い看板があった。細い道を登ると、草っ原があった。もちろん、看板はあるのだが、基本は原っぱである。聞いた話では、世界遺産に、する話もあったらしいが、その後、世界遺産になった話は聞かないので、落選したのだろうと思う。ただ、個人的には、幕末の写真があり、それを元にした銅板画のニュースペーパーに出てくる砲台なので、空想が膨らんだ。まるで馬関戦争の情景が見えてくるようで、良かった。
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長居もできない(空きスペースに車を置いていた)ので、残念ながら下山した。結論だけを書くと、15:00に、カモンワーフの駐車場に車を停めた。中を覗いたが、つまらなかったので、前にあった、旧英国領事館を外観だけ見学した(火休み)。
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最後に、これも真ん前にある、亀山砲台跡でもある亀山八幡宮に参拝した。
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ホテルへは、海峡ゆめタワーの真後ろにあるホテルに、時間前にチェックインできて、ラッキーだった。

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