聖ヨハネ騎士団 コロッシ城 東地中海(レバノン・キプロス)⑪

第七日目(4月20日) この日も、朝から快晴。9時に出発して、すぐに、最初の目的地、コロッシ城へ着いた。
画像
こぎれいな、公園みたいなところに、豆腐のような真四角な城があり、その側には、不思議なかまぼこ形の建物(サトウキビ工場
画像
)や、背の高い樹があった。コロッシ城は、12世紀に造られたので、十字軍時代である。第3回十字軍の獅子心王リチャードがこの地に上陸したのは、1191年だった。キプロスを征服したリチャードは、キプロスをテンプル騎士団に売り渡した。コロッシ城も、この時、テンプル騎士団のものだったようだ。その後、故あって、テンプル騎士団は、キプロスから撤退して、代わりにこの城を管理したのが、聖ヨハネ騎士団だったようで、一般的には、コロッシ城は、聖ヨハネ騎士団の城、といわれている。現在の城は、最初の城の枠(壁)の中に、15世紀に再建されたようだ。聖ヨハネ騎士団が、ロードスに移ってからも、領主として、「荘園」のようなものを経営していたらしい。
画像
主な産業は、ワイン(騎士団長という名前のワイン)とサトウキビだったようで、主にフランスへ輸出していた、との説明だった。建物には紋章があるのだが、聖ヨハネ騎士団は勿論だが、フランスのルイジアナの紋章や、フランス王家・キプロス王国・アルメニア王国・エルサレム王国の紋章なども含まれる、コンプレックス紋章だった
画像
(結論だけを言えば、リュージニャン家の紋章のようだ)。跳ね橋から、入城したのだが、中身はガラーンとしていた。一つ、フレスコ画(キリスト磔刑図)だけが寂しそうに残されていた。常時は50人ぐらいが住んでいた、とのことだが、大きさからみて、十字軍の城(時代も違うが)の印象は薄く、「荘園領主の館」のイメージに近かった。城の前に、飾りとして、ローマ時代の石柱が置かれていた(20年前)が、関係が無いものなので、紛らわしいと感じた。お土産に、コマンダリアン(騎士団長)ワインのミニュチュア瓶を一つゲットした。ここから、バスでひと乗りして、クリオン古代遺跡へ行った。古代遺跡というよりは、遺跡公園と言った方が、イメージが近く、遺跡の丘は花盛りだった。歴史的には、BC12世紀に入植したアカイア人10都市の一つらしいが、現実に見るのは、ローマ時代の「エストリオスの家」の豪邸跡である。遠くに地中海が見える丘の斜面に、巨大な屋根がかけられていて、ちょっと目には、違和感があるが、遺跡を見れば納得。
画像
ここで使用されている大理石は、ギリシャから運ばれてきたものとの説明だった。最初のモザイクは、「キティシス像」で、キティシス尺というローマ時代の物差しを手に持っているモザイクで、とてもきれいなものだった。海側のモザイクは、魚や鳥がモチーフになっているのだが、そこに書かれているギリシャ文字から、キリスト教の影響がある、との説明だった。
画像
もともとは、1~4世紀のローマ遺跡なのだが、地震で一度壊れて、再建されたもの、という説明だった(キリスト教の伝来は1世紀だが、公認されるのは、4世紀末なので、その時代のものか)。近くには、修復されたものではあったが、「ローマ劇場」が、海に向かった斜面にあり、真ん中のポイントから手を叩いたら、物凄い衝撃波が生じて、びっくりした。
画像
ここから、本当にバスでひと乗りしたところにも、遺跡公園があり、そこはアポロンの神域、との説明だった。ここの遺跡も、地震で破壊されたようだ。アポロン神殿は、下から見ると、ペトラ遺跡に似ていて、ナバタイ人の影響がある、というのが、ガイドの説明だったが、個人的には、パルミュラの遺跡に似ていると感じた。
画像

クリオン古代遺跡・アポロンの神域も、遠くに海が見える環境が素晴らしく、この時は、春の花盛りで、大満足だった(咲き誇る花々も素敵だったが、最後に見た、アザミの一種は、特別な造形で驚いた)。
画像
見学の、終了間際に、アポロン神殿に通じる「聖なる道」へ戻ったら、先ほどの銀座のような雑踏とは裏腹に、人けが無く、ぞっとするような感動を覚えた。
画像

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック