トロードス山地の世界遺産 東地中海(レバノン・キプロス)物語⑭

八日目(4月21日) 旅の後半は、晴れが続き、この日もそうだったのだが、いきなり、バスのルートの変更が宣告された。何でも、予定された道が雪のクローズで、別路になるということだった。ちょっとだけ高速を西に向かい、すぐに山の方へ向かった。左の方に、渓谷が現れたので、左席が「正解」だったようだ。キプロスは、水の少ない(大河が無い)国なので、水の確保が大変なのらしいが、珍しいダム湖なども見えてきた。道端には、ミモザの花が咲き乱れ、ミモザ街道と言っても良いぐらいに、咲いていた。もう一つ、ウイキョウの黄色い花も、「私が主役よ」という感じで、咲いていた路でもあった。本来は、オリンポス山も見えるらしいが、朝は、ガスっている、との説明だった。山が深くなり、松の木(アレッポ松)が目立つようになり、バスが喘ぐように急坂を登りだした。すると、道路際に、積雪の跡が見えてきて、たちまち斜面も白くなり、クリスマスツリーのようだ、
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と騒いでいるうちに、キプロスでは、標高が一番に高いという町で、トイレ休憩になった。気温は、朝のスタート時が8℃だったものが、どんどん下がり、バスの車外温度は、最低は1℃にまで下がった。
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休憩したレストランでは、薪ストーブが、大きな炎で燃えていて、皆がストーブにかじりついていた。自分は、外が気になり、雪景色の写真を楽しんだ。
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目指す「トロードス地方の壁画聖堂群」の最初は、キコス修道院だった。こちらの「世界遺産」は、原則として、撮影禁止が多いので、撮影可能な玄関のモザイク画が、紹介される修道院でもある。教会は、ピンからキリまであるが、修道院は、どこも、それなりのスケールである。近くの山の天辺に、モニュメントが見えた。
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どうやら、初代大統領にして、大主教でもあったマカリオスの墓らしく、近くには、彼の銅像もあるのだが、雪でクローズとの、残念な情報だった。さて、修道院は、玄関
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を入ると、中庭に出るのだが、ここまでは、撮影が可能とのことで、とりあえず、何枚かの写真を撮った。ここには、レプリカのフレスコ(どうやら、聖ルカが、画を奉納するシーンらしい
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)もあるようで、欧米系外国人のツアーは、そこで、熱心に、解説をしていた。教会は、さすがに立派だった。例によって、前面に聖書の場面が書かれているわけだが、ここのメインは、コンスタンチノープルから持ってきたとされる、聖ルカの描いた「開かず」のイコンである。「絶対秘仏」であるのは、長野善光寺の本尊と同じだが、前掛けが、「前立本尊」と同じで、信者は、内陣に入り、ここでお祈りと、感謝のキスをするらしい。我々も、一人の人間として、この「お前立」まで、入って、拝むことが許可された。拝み方は、合掌でもよい、とのことだったが、せっかくなので、真似事の十字架と、真似事のキスも試みて、旅の感謝と、安寧を祈願した。内陣にも、イコンがずらりと並んでいたのだが、そのうちの「聖母」が、顔は、イコンらしく真面目なのだが、唇がちょっと開き加減で、妖しい感じで、「聖母」様なのに、セクシーを感じてしまった。クーボラの天井にも、聖母子像があった。マリアは、冠を被り、左右に小さな天使が祝福している、という構図だった。上の方に立派なイエス像(キリストの変容かもしれない)があり、後背の爽やかな青色と、尖った三角の造形が、印象的だった。壁画の一つに、イエス誕生の場面があり、「どうして牛小屋なのか」と、K氏が質問していたが、ヨーク見たら、牛の後ろには、黒っぽいロバさんもいて、少なくとも、牛小屋ではなさそうだった。
時間は少なかったのだが、博物館が開いた、というので、一人5ユーロ;を払い、急ぎ足で、拝観した。ミュージアムではあるが、荘厳な感じが心地よかった。書けば、枚挙に暇はないが、多くのイコンがあるのは当然として、個人的には、ルオーを連想させた聖人のモザイクと、十字架に刻まれた、天使(ミカエルか)の二つが、印象に残った。蛇足だが、修道院は、ビザンチンの皇帝が、娘の不治の病を治していただいた、お礼(と約束)で、この地に聖路加のイコンを奉納したのが起源である。この時点で、正午を過ぎていたが、飯前に、あと二つ、というのが、Hさんのお願い(命令)だった。次は、ペドゥラス村の、アルハンゲロス・ミカエル教会というもので、ひと谷を越えたようなところにあった。駐車場を下りて、迷路のように、クネクネ降りると、立派な聖堂が見えた
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が、目的は、別の方向だった。途中には、チェリーブロッサムが咲いていたのだが、ソメイヨシノとは違い、ヤマザクラのように、葉っぱも混ざっていたが、満開だった。そのうちに、大きな屋根と桜の花が、絶妙にミックスした景色があったのだが、その屋根こそが「世界遺産」だった。
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日本でいえば、村のお寺の「秘仏」を拝観するような感覚だと思うのだが、村の人が、鍵は開けてくれた。。建物は、石造りで、民家だよ、と言えば、誰でも信じてしまうような素朴な建物だった。そもそも、山奥に、教会がある理由の一つは、イスラムの海賊からの被害に遭わないためなので、民家と同じ構造なのは、敵を欺く効用があったのかもしれないと、思った。ミカエルは、フランス語ならミッシェルなので、かのモンサンミッシェルと同じ、「大天使」を祀った教会である。中は暗いのだが、合掌造りのような角度で、三角の天井があり、梁も目立っていた。正面には、イコンもあったのだが、鍵一つの教会では、危険なので、きちんとしたミュージアムで保管している、との説明だった。フレスコ画は、新約聖書の有名な場面のものが多く(ユダの接吻、イエスの復活、マリアの昇天、受胎告知など)、とても楽しめた。特に印象的なものを描くと、復活したイエスの顔が、神々しく描かれていたこと、マリアの昇天では、イエスが、マリアの「魂」を持っている場面などは、珍しかった。
ミカエルと 世界遺産の 花見かな』(アルハンゲロス・ミカエル教会)
次が、カコペトリァ村の、聖ニコラオス教会だった。昔は、修道院の中の聖堂だったのだが、修道院が燃えてしまって、聖堂だけが残ったのだそうで、ミカエル教会よりも大きく、「屋根の教会」という異名もあるとの説明だった。
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それだけに、単なる「村の教会」とは違って、11世紀からの、歴史の重みと積み重ねのある教会壁画だった。キリストの変容、エルサレムの入城などが11世紀のもので、やはり堅苦しい感じがした。12世紀のものでは、40人の改宗したローマ兵士のテーマが、とても珍しい(自分が見るのは、恐らく初めて)ものだった。そして、正面の聖母子像は、厳粛なイコンの形式なのだが、マリアのおっぱいが描かれていて(イエスへの授乳)、これは文句なしに珍品だと思った。この聖母子像は、イエスが、着ぐるみを着ているのも、珍しいと思った。この聖母子像は、13世紀との説明だった(葉書は14世紀)。説明での、14世紀のものは、イエスの磔刑なのだが、歪んだイエスのあばら骨と、左に太陽、右に月なのだが、顔が描かれていて、面白かった。
この後、午後2時を過ぎて、ようやく昼食をテイクした。スプラギという郷土料理は、骨付き肉を柔らかくしたもので、美味しかった。午後は、ガラタ村の、パナギア・トゥ・ポディトゥ聖堂だった。駐車場から見下ろす位置に教会はあり、飛騨の合掌造りのような、風格のある建物が見えていた。
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名前はややこしいが、要するに「聖母マリア教会」だと思うのだが、ギリシャ語だと、ややこしくなる。ちなみに、聖母マリアは、カトリックの言い方なので、オーソドクスでは、「生神女マリア」と称する。この教会の歴史は、比較的に新しく、1503年に、デコロノ家の寄進で立てた教会との説明だった。ルネサンスイタリアの影響があり、構図は、オーソドクスだが、描き方はルネサンス風なので、人間的とのことだった。クーボラの天井が聖母子像で、最初の修道院のものと、同じ「構図」なのだが、天使が大きくて人間的であり、イエスが、赤ん坊なのに、イケメンの顔に描かれていて、いかにもルネサンス風だった。付け加えると、マリアの碧衣の色もきれいだった。その下に、十二使徒が描かれていて、それぞれに、左端のユダも含めて、生き生きと描かれていた。十戒ゆかりの壁画もあった。モーゼがシナイ山で、サンダルを脱ごうとしている絵で、旧約の題材は、珍しかった。後ろの、屋根との三角のスペースには、磔刑図があった。16世紀ともなると、イエスの胸板は厚く、人間らしいのだが、異彩を放っていたのが、マグダラのマリアの、きれいにウエーブしたロングの後ろ髪だった。よくよく見たら、決まり事なのか、天辺の左右に、太陽と月とが、やはり描かれていた。教会の一角に、洗礼盤があったのだが、どう見ても「洗礼壺」で、ガイドさんの話しでは、洗礼は、形式ではなくて、本当に、水に浸けてドボンと洗礼する、との話だった。帰り道で、オリンポス山を見た。イギリス軍のレーダーがあり、見つけやすくはあるものの、せっかくの神話の山なのに、雰囲気を壊していたのが、残念だった。
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早くに、ホテルに着いたので、良かった。夜は、「最後の晩餐」なので、再び、はキプロスワインを楽しんだ。

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