レバノンの京都 シューフ山地 東地中海(レバノン・キプロス)物語⑤

第四日目(4月17日) 朝は、雨が降っていたのだが、出発の頃には、雨が上がって、本当に良かった。この日の予定は、海岸線を北上して、シドン付近の観光をして、ベイルートに戻る、というものだった。途中、鳩の岩、という観光地に寄った。
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ベイルートの有名な観光地だが、岩の真ん中に、大きな穴が開いていて、それがアクセントになっていた。景色のレベルでいえば、どこにでもあるような平凡なものだった。ただ、朝の爽やかな時間に、観光が出来て、良かった。ここからは、地中海を右手に見ながら、海岸線をひたすら北上した。途中には、パレスチナ難民の、キャンプ地もあったが、現在は、開発されていて、面影が無かった。しかし、歴史の「事実」には違いないので、簡単なモニュメントでもあると良い、と個人的には思った。このまま、シドンの街へ進むのかと思ったら、途中に、バナナ畑があるあたりで、山道に入った。案内では、北部の山地(シューフ山地)に入ったそうで、ドルーズ派の多い地域との説明だった。
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ドルーズ派は、エジプトファーティマ朝のハーキムを崇拝する、イスラム系の異端の宗派で、エジプトでの弾圧を逃れて、現在地に来た、と言われている(14世紀)。隣国イスラエルでは、ユダヤ系以外で、唯一、イスラエルの国軍に採用されるなど、異彩を放つ宗派で、オスマン時代に、塩野七生さんの表現を借りれば、「外様大名」として、レバノンの地に君臨したらしい。この地で、16世紀には、マーン家が、その後、17世紀の末には、スンニ派だったが、シハーブ家が、アミールとして、レバノンを統治した。見学したのは、このシハーブ家のバシール・シハブ2世が、30年の歳月をかけて建てた、ベイト・エッディーンという、アラブ様式の宮殿だった。
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高名なアルハンブラ宮殿の、親類筋には違いないのだが、見学した印象は、随分と違った。バシール・シハブ2世が、アレッポや、イタリア(亡命先)の職人などを使って建てた宮殿(1788年)で、外見が地味なので、あまり「食欲」をそそらない建物なのだが、中に入って、仰天した。最初は、謁見の間、
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とのことだった。レバノン杉の本場なので、レバノン杉をふんだんに取り入れ建築なので、石造りだけの宮殿とは、人間味というか、暖かさに、違いがあるように感じた。
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壁を流れる噴水、というものは、初めて見た。イランでも、ヨーロッパの式の宮殿を見たが、こちらは、さりげなく、ヨーロッパ色をちりばめていて、目立っていないので、折衷が好きな日本人には、なかなか、好感が持てる建物ではないかと思った。この建物は、主のシハーブ家が追放(1840年)されてからも、オスマンの政庁であり、独立時(1943年)に大統領官邸だった。現在も、大統領の夏の執務室があって、ここも公開されていた。その他には、女性の部屋(王妃の間みたいなもの、ステンドグラスがきれいだった)
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や、ハマムも見学した。庭には、ビザンチン時代のモザイクがあり(ここの下階は、モザイクのミュージアムも兼ねていた、動物の壁画が面白かった)
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レバノン杉も生えていて、景色の方もなかなかに良い宮殿だった(景色の点では、アブシンバイルの丘が見える、アルハンブラ宮殿に似ていた)。というわけで、ベイト・エッディーンは、日本人には馴染が薄かったが、建物としての価値も高く、レバノンの歴史にも深くかかわっていた建物だった。
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レバノンの 独立見守る 花蘇芳』(ベイト・エッディーンは 夏の宮殿)

ベイト・エッディーンから、少し戻って(一度通過した)、レバノン最初の首都だった、デル・エル・カマル村を見学した。エトワール広場を中心に、宮殿やキャラバンサライ、レバノン最古のフェアレディン・モスク(行事で、外観のみ)、キリスト教の教会、などが立ち並び、石造りの民家群は、マルタのバレッタにも似る、という話だった。最初に、キャラバンサライを見学した。
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現在は、工芸の店などに、リノベーションされ活用されていた。すぐ上には、宮殿(ベイト・エッディーンができる前の代)があり、その一角には、シナゴーグがあった。ここから(村が、斜面にある)、村全体が、良く見えていた。
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市庁舎もあり、その入り口の上に、ひょうきん顔のライオンの紋章があった。
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それまで、シハーブ家というものは、左脳的に、言葉だけで覚えていたのだが、この紋章を見て、急にシハーブ家が身近になり、胸にジーンと来た。たかが、紋章だが、されど紋章でもある。守衛のおじさんが、わざわざ、我々のために、鍵を開けてくれて、内部も見せてくれた。「シュクラン」である。やはり、レバノン杉の天井(アラベスク模様か)が印象的だった。もう一か所、マロン派の教会を見学した。内部は、ほとんど装飾がないので、一見プロテスタントの教会のようにも感じた。ただし、建物はロマネスクのような素朴な造りで、壁は真っ白だった。ただ、祭壇の中央に、聖母子像が祀られていた。冠を被った、威厳のある聖母子像は、なかなか他では見たことのない、イコンだった。それよりも、注目したのは、本来の、教会の入り口だった。
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とても小さく、マロン派が、対立するイスラムからの「守り」を意味する小ささ、との説明だった。(数日後に、スリランカで、イスラム狂信派によるテロが起こった)まぐさ石は、別のキリスト教の遺跡の転用とのことだった。ドルーズ派の村に、キリスト教の教会があるのに、違和感があったが、モスクを造ったフェアレディン2世が、宗教的寛容(シナゴークもその一環)のために作ったそうである。ちなみに、後の、バシール・シハブ2世は、マロン派に改宗し、広場に立っている、銅像は、この村出身のマロン派の大統領らしいので、現在は、マロン派の人も、多いのかもしれない。ここの村は、標高が800mあるらしいのだが、地勢的に重要なところらしく、ローマの遺跡もあったようだが、見学はしなかった。散歩の途中、排水のスペースが真ん中で広い石の階段が、面白かった。
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シューフ山地から下る途中、地中海が遠くに見えるポイントがあり、なかなか良かった。
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