昭和青春 平成朱夏

 平成の最後に、東地中海にある、レバノン・キプロスに旅してきた。昭和生まれの身としては、世間ほど、「令和」フィーバーには、参加していないのだが、今度の改元が、前回の改元と違って、祝賀ムードでスタートしたことは、一国民としては、良かったと思っている。たまたまなのだが、我が家の庭には、平成元年に、植樹した、山茶花と侘助の樹が、2本とも、すくすくと育っている。最も、すくすく、といっても、花の後には、選定をしまくるので、程よい高さを保っているのだが、幹の太さは、それなりに大きくなった。思えば、昭和の時代は、自分で言うのも何なのだが、苦労した学生生活を送り、就職してからも、一生懸命に働いてきたと自負している。従って、昭和は「青春」だった。
 平成になったころは、日本も「バブル景気」、自分も「働き盛り」だった。「好事魔多し」である。バブルもはじけたが、自分も一度「大病」を患った。それまでは、ただ、一目散に駆けていたのだが、ここからは、余裕をもって歩くことにした。海外旅行は、昭和青春時代は、単なる「夢」の世界だった。実質的な海外旅行として、「ドイツロマンチック街道、スイスアルプス、フランスパリ」という、ものを申し込んだのだが、この旅は、「大病」で、ドタキャンすることになり、人生観がすっかり変わってしまった。くどくなるので、その後の経緯は、簡単にするが、現役の時代は、自分の仕事に「投資」する形で、旅行ができたのは、幸せだった。リタイア後は、「仕事への投資」という大義名分がなくなったので、「自分自身への投資」へ、モデルチェンジした。
 旅のだいご味は、「感動」だと思っている。かつて、スペインで、ピカソの「ゲルニカ」を見て感動し、大泣きをした。今回の「レバノン・キプロス」旅では、ベイルートの、イエローハウスという建物を見学した。
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話は、飛ぶのだが、元号が変わる時の、感想を聞かれて、「平和になってくれれば良い」みたいな意見を言う人が、複数いて、驚いた。この言い様は、まるで、平成が平和ではなかったので、令和では、平和になってほしい、みたいに聞こえてしまったからだ。平成は、災害こそ多かったが、平和そのものだった、というのが、自分の感想だからである。レバノンでは、「日本人が戻ってきて嬉しい」という言葉を何度か聞いた。それまでは、内戦の影響で、一般の日本人観光は、制限されていたからである。話を、ベイルートの、イエローハウスに戻す。簡単に紹介すれば、イエローハウスは、「レバノン内戦の資料館」である。建物そのものが、銃撃の痕が蜂の巣のように残されていて、資料館なのである。はじめ、バスの車窓から、この蜂の巣を見て、本能的に、シャッターを切っていた。下車して、中に入ると、瓦礫も残されていて、原爆ドームみたいだ、と思っていた。内部の階段を上がると、上は、「内戦時の写真」が貼られていた。はじめは、貴重なものだと思って、これも撮影していたのだが、ある一枚の写真を撮ってから、愕然とした。普通の市中の写真なのだが、その人が「ガスマスク」を付けていたのだ。
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なんて悲惨な写真なんだ、と思ったら、あまりにも状況が衝撃過ぎて、とたんに涙が出てきて、シャッターを切れなくなってしまった。こんな国も、世界にはあるのである。新天皇が、最後に「平和」を願ったのは、本当にそのとおりである。願わくば、日本の平和から、世界の平和まで。
 片言で、フロムジャパンと話したら、トキオ、ヒロシマ、ナガサキと聞かれたので、アイ、ボーンド、イン、ナガサキと答えたのだが、果たして通じたのかしら、と思うのだが…それはともかくとして、世界を旅して、特に、中東辺りでは、ヒロシマ、ナガサキのネームバリーは、依然として、凄い。「憲法改正」は、ある意味「正論」めいたところはあるのだが、平成朱夏に学んだ、最大の収穫は、アリストテレスの、「論理的には正しくても、人間世界では正しいとは限らない」という言葉だった。

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