キプロスの首都 ニコシア散策 東地中海(レバノン・キプロス)⑨

六日目(4月18日) 出発の時(9:00)には、快晴だった。まずは、バスの車窓から、ベネチア時代の城壁が見えてきた。16世紀というから、自分の「俯瞰する年表」から言うと、本能寺の変があった世紀になる。城壁にある3つある門のうち、ファングスタ門が最初の見学だった。
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開かれた門、というよりは、閉ざされた門、というイメージが強いので、当時のビザンチンの、危機感がうかがえるような造りだと思った。住宅街をしばらく歩いていくと、通りの向こうに、鐘楼のようなものと、ギリシャ国旗(キプロス国旗でないのが不思議)が見えてきた。そこには、大統領官邸と、聖ヨハネ教会が並んで立っていた。側に、ニコシアの地図があったのだが、北の部分は、意図的に、情報が消されていて、グリーンラインはなく、現実の「南キプロス」と「北キプロス」の問題を、問わず語りに、語っていた。
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大統領官邸正面に、マカリオス3世の像
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があるというので、思わず飛んで行ったら、ガイドさんが、日本人がそのようなことに興味を持ってくれて、嬉しい、みたいな話を、後でしていた(後で、とんでもない、どんでん返しがあるのだが…)。
聖ヨハネ教会は、17世紀に、ビザンチンが建てた大主教座教会だった。14世紀の、リュージニャン期の教会の上に建てたらしいのだが、どの程度、昔のものが残っているのかは、皆目わからなかった。教会の内部は、典型的な、グリークオーソドクスの形式で、壁面には、聖書(新約の場面がほとんど)の名場面が描かれていて、我々「非クリスチャン」にとっては、有名な「最後の晩餐」などを確認して、ほっとしたりするところである。正面は、イコンがずらりと飾られた聖障壁があり、かまぼこ型の天井と、壁一面には、イエスの生涯の壁画が、びっしりと、埋め尽くされていた。イコンは、17~18世紀のもの、教会は大司教座教会との説明だった。ここから、少し歩くと、ニコシアにも「自由の女神像」があった。
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こちらの女神像も、独立(1960年)を記念する像らしいが、像の下には、兵士や市民の像もあって、独立の「苦難」を象徴しているようにも、思えた。ここから、しばらく、空濠沿いに歩いていくと、トルコ式モスクなども見えていた。やがて、繁華街があり、その先に、グリーンラインがあった
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(仕切りには、ドラム缶が並べられていた
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)。そこには、パスポートコントロールがあり、行き来をチェックしていた。我々は、特別な計らいで、ノーパスポートで、グリーンラインまでの、「特別出国」が認められた。
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ところが、ここから先の「北キプロス」まで「無断出国」する不届き者がいた。自分的な表現をすると、「国のコレクター」と称する人だと思われる。コレクションを増やすには、是非にも行ってみたいのだろうが、やはり「掟破り」には違いない。当然の話だが、後で、警察官に呼ばれて「目玉」を食う羽目になった。自分だけならば、自己責任でも済むが、一番の被害者がガイドさんであり、この不利益は、我々全員がこの害を被るわけだから、噴飯ものである。自分も、非常に気分を害したが、ここの「国境」付近の店で、ピンバッジをゲットすることができて、気持ちをイーブンにした(ピンバッジは、オンリーワンの残り物だった)。グリーンラインの見学では、急に雷が鳴り、雨も降ったが、神様が怒っていたのかもしれない。最後に、考古学博物館を見学した。最初が、キプロスのコインのデザインになっている、「古代のビーナス」(正しくは、「ポモスの偶像」BC3000)を見学した。特に、十字架のロザリオを首にかけたビーナスは、時代錯誤かと思った。キプロス島は、古代から、一度、1500年ぐらい無人島時代があり、次にやってきたのが、ミケーネ人と言っていたが、別名アカイア人である。彼らの壷の絵は、マンガチックで面白かった。
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フェニキア時代に入ると、幾何学模様に変化するのだが、融合したような傑作もあった。中国秦の始皇帝には「兵馬俑」があるが、キプロスにも、陶器の兵隊がいた。後で、ガイドさんに聞いたら、敵は、シリア方面など、多かったとの説明だった。通説によると、アカイア人は、トロイ戦争の帰途に、キプロス島に流れ着いた、ともされているので、戦争の「記憶」とも考えられるが、自分が危惧したような、島内における、内ゲバ戦争ではないらしいので、少し安心した。この兵隊さんの前には、ギリシャからの、「移動教室」みたいな子供たちが、熱心に話を聞いていて、楽しそうだった。
キプロスは、ビーナスの島だが、ローマ時代(BC1世紀)の、大理石製ビーナス像の傑作があってとても良かった。
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今回、二人の「美女」に会うのが、ミッションの一つだったが、昨日は、レバノンで、エウロペに会い、今度は「ビーナス」に会うことが出来た。ビーナスは、大柄ではないが、顎のあたりのラインが清楚で、おさげのようなうなじが、とても可愛らしかった。もちろん、成熟した女性でもあるのだが…。その先には、やはりローマ時代の、青銅像(皇帝セプティウス・セウェルス)があり、青銅は溶かされて、武器にもなるものなので、貴重な作品とのことだった。
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皮肉な話なのだが、出土品の多くが、現在は「北キプロス」での出土品だった。最後のコーナーで、葬式用の陶製の群像があった。キプロス独特の形式との、説明だった。フリータイムで、もう一周して、見残した、「角のある神像」(BC1世紀)
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や「鷹飾りのある王笏」(BC11世紀)、彩色のリュトンなどを見学した。これにて、ニコシア見学を終了して、「下山」した。

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