西行終焉の弘川寺 とことこドライブ西遊記④

 弘川寺は、3㎞ぐらいなので、近かった。集落の奥に、立派な駐車場があり、アジサイが咲いていたが、都会化の波は、近辺まで押し寄せているようで、途中には、造成団地の側を走ってきた。弘川寺は、西行終焉の地で、塚があるのだが、途中には、西行堂という、壊れそうな庵があった。DSC08333西行庵.JPGさらに登ると、薄暗い台地があり、そこに塚があったのだが、それは、西行を慕って、塚を発見した似雲のもので、対面に西行塚が、こんもりと見えていた。古色蒼然とは、このことで、よくぞ発見してくれた、という感じがした。DSC08335西行塚.JPGこの場所は、何か、山城の郭のような雰囲気なのだが、後で、下に行ったら、応仁の乱前夜の畠山氏の内訌では、戦場にもなったようで、関係があるのかも、と思った。江戸時代には、西行を慕って、多くの人が訪れた様子で、どこかに、良寛も来たらしいのだが、西行を慕った芭蕉の痕跡がないのも、不思議な気がした。本坊に行って、御朱印と庭園の拝観をお願いした。さすが、桜を愛した西行ゆかりの寺で、桜の木が悠々と枝を伸ばしていたのが、印象的だった。DSC08338庭.JPG
 ライトマップル関西道路地図の15ページには、行きたい場所が、多くマーキングしているのだが、近くに高貴寺があったので、ナビをセットした。丘に沿った農道を走ったので、高貴寺は近かったのだが、門までは遠かった。というのも、参道に自動車が走っている気配がなかった。入るべきか、引き返すべきか迷ったのだが、М子に、少しだけ歩いてもらって、GOサインが出たので、恐る恐る坂道を登ると、道はいよいよ険しく、どう見ても車が入る雰囲気がしていなかった。近くに、墓参用の空き地があったので、そこに車を置いて、参道を上がると、まるで、無住の寺のようだった。用のある人は、鐘を鳴らしてください、というので、軽く鳴らしてから、境内に入った。写真撮影も禁止というので、岐阜の新長谷寺以来の緊張感があった。DSC08340高貴寺.JPGどうやら、禅(正確には真言律)の道場なので、観光客は、拒絶している感じだった。長居は無用なので、お祈りをして、早々に戻った。それにしても、寺の持っている「高貴」さは、格別だった。ようやく、河内長野の宿にナビをセットして、野良道を走って行った。大阪にも、田舎が残っている、と思いながら、河内長野に向かった。宿は、少し、崖っぷちにあり、宿からは、ビルが筍か茸みたいに、にょきにょき建っているのが見えた。窓からは、鉄道の駅も見えていて、不思議な光景だった。

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