白鳥の湖 ハープサル バルチック琥波句旅日記⑯

 八日目(10月8日) また、雨の朝を迎えた。せっかくなので、出発の前に、バルト海の水を触ってきた。感触としては、それ程冷たくはなく、海水というよりも、ぬるっとした、水に近い感触だった。バルト海に触るのは、ヘルシンキ、サンクトペテルブルクに次いで、3回目かと思った。まずは、昨日来たルートを戻るのだが、例の埋め立て道路辺りは、葦が生えていた、海というよりも、湖のような感じの景色で、どこかチチカカ湖にも似ていた。DSC09719湖風アップ.JPGヌフ島の黄葉は、相変わらずきれいだった。9:40のフェリーに乗り、今度は、北のハープサルへ向かった。エストニアは、更に森の割合が多いらしいのだが、白樺を見ると、つい「トロイカ」のメロディーがでてきた。草が紅葉しているところなどは、まるで、戦場ヶ原をドライブしているような感じでもあった。ハープサルは、エストニアの、西の中心地とかで、ちょっとした町なのだが、ロシア帝政時代に、保養地として利用されたらしく、サンクトペテルブルクからは、鉄道が延びていて、かのチャイコフスキーも若き頃に訪れた、ということだった。最初の見学は、「僧正の城」という名の古城見学だった。DSC09726ハープサル城.JPGバルトの古城では、昨日のクレッサー城が一番に原形の姿をとどめているらしい(2番目が、トラカイ城)のだが、残念ながら、修復中だった。その替わりなのか、こちらの「僧正の城」は、修復が終わったばかり、という触れ込みだった。現地ガイドは、雰囲気が何となく、坊さんのような大柄の人だった。結論を先に言えば、修復とは言っても、外観は、壊れたままのもの(1688年、日本では元禄元年、西洋では、名誉革命の年に、火災に遭った)を、内部は、ほとんど近代的に、改装した(今流の言い方だと、リノベーションした)古城ミュージアムだった。この古城で、唯一、きれいに復元されていたのが、付属の教会で、DSC09736教会.JPG乙女の幽霊(バルト三国は、幽霊話が多かった)の出る、礼拝堂(ホワイトレディのチャペル)は、特に人気のスポットのようだった。DSC09738伝説のチャペル.JPG中世の城だけに、大砲の出現により、壊された城を、スウェーデン人が、買ったこともあるらしいが、最終的に、1688年に火事で廃墟になったようだ。正直に言うと、古城の修復ほど難しいものはない。下手に修復してしまうと、中国の多くの古城・遺跡がそうであるように、品の悪いテーマパークに成りかねないからである。「僧正の城」は、テーマパークであるよりも、ミュージアムに特化していて、ぎりぎりで踏ん張っている感じだった。DSC09742甲冑.JPGここで、一番良かったのは、ミュージアムの内容よりも、最上階からの、バルト海の展望だった。DSC09747眺望.JPG艦隊が、ここから出撃したわけではないが、気分的には、当時、バルトの地の不凍港を基地にしていた艦隊が、はるばる極東まで、出撃したことは、世界の海戦史上。稀有のことだったように思われる。ここから、レストランまでの街中の道が狭く、かつ、工事やら、違法駐車があって、大変だった。何とかこれをクリアして、着いたレストランは、バルチックホテルという名前だった。DSC09766バルチックホテル.JPG食後に、ミニ見学をした。ハープサルの前にはヴィークという潟があり、白鳥が遊んでいた。DSC09762白鳥アップ.JPG雨の中、チャイコフスキー(彼が21歳の時の夏に、ここを訪れて「ハープサルの想い出」を作曲した)のベンチを見学して、出発した。DSC09765チャイコフスキーのベンチ.JPG
 『白鳥の 踊る湖なる ハープサル』(ロシア艦隊 いざ東洋へ)
タリンまでの道中は、うつらうつらしていたが、基本的な風景の変化はなかった。ただ、時々、日本の農家のような建物があるのが、面白いと思った。

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