「歌の祭典」歌の原 カドリオルク公園 バルチック琥波句旅日記⑰

高速を降りて、最初の見学は、野外博物館だった。17世紀からの、各地の民家を、広い敷地に移築展示した施設で、フルに回ると、4時間はかかる、という説明だった。最初は、19世紀(農奴時代)の農家というのだが、巨大な建造物で、屋根は萱葺きなので、日本の農家とそっくりだった。恐らくは、農奴の身分でも、リーダー格の屋敷だと感じた。巨大な割には、一階しか、利用はしていなくて、屋根裏の巨大空間は、何かを干すのに使った、ということだった。冬には、馬も、室内に入れるそうなので、日本の曲がり屋と同じだと思った。別棟の倉庫には、倉庫番の、猫が出入りする通路の穴があるのが、面白かった。DSC09771猫の穴.JPG農奴解放後の、19世紀の農家も見学したが、自作農ということで、規模は小さく、若い娘がいる棟があるのだが、結構、危ない習慣だと思った。DSC09775農家.JPGこの時代のお店(万屋のようなもの)に入った。女性の地主として、活躍した伝説の女性の家らしいのだが、中で、「歌の祭典」のチョコレートがあり、パッケージに魅かれて、購入した。博物館の道路は、ダートなので、雨の中、大変な散策だった。我々が、帰るころには、大勢の観光客が押しかけてきて、大変な混雑だった。雨の中、やや暗くなりかけていたが、次に、カドリオルク公園へ、夕方のラッシュアワーの中を向かった。カドリというのは、ピョートル大帝の妃エカテリーナのエストニア語表示で、オルクは同じく、谷の意味らしい。旧市街の4倍もの面積の公園だが、中心は、バロックの宮殿で、DSC09785.JPG裏庭の花と、公園全体の黄葉が見事だった。DSC09788黄葉.JPG最後に、タリンの歴史では、最も重要だと思われる、「歌の原」へ行った。歌の原というのは、誤訳で、野外音楽堂がふさわしいと思った。巨大なステージも素晴らしいが、その背後に、バルト海が見えていて、とても感動した。ここに、何万人もの人が集い、合唱をするというのは、想像するだけでも、身震いがするほどだが、近くには、祭典の写真があって、こちらもとても感動した。DSC09793祭典.JPG1869年にこの地で始まった「歌の祭典」は、エストニアだけでなく、バルト三国の独立の階となった。大都会リガのラッシュアワーで、ホテルへの到着はすっかり遅くなった。そして、ビリニュスからはるばる我々を連れてきたドライバーのDさんとは、ここで、お別れだった。ハープサルでの、絶体絶命をクリアした時には、みんなが大拍手だった。一休みして、旧市街にあるレストランへ、徒歩で向かった。夕暮れの坂を上ると、エキゾチックなアレクサンドル・ネフスキー聖堂が控えていた。日本人には、エキゾチックに見えて、悪げなさそう見えるのだが、エストニア人にとっては、「複雑な聖堂」とは、その時には、あまり気にしなかった。聖堂の前を右折すると、どんどんと坂道を下り、いかにも中世の景色、という建物の中をくりぬいた門があり、DSC09806中世の道.JPGそこを抜けると、リガの下町に飛び込んだ。下町の迷路を左にしたり右にしたりしながら、ひょっこりと大きな広場に出た。DSC09823広場の月.JPGラエコヤ広場という名前は、後で知ったが、旧市庁舎の大きな建物がライトアップされて、とても素敵だった。レストランは、この広場に面した地下1階にあった。食事が始まって、30分ばかりたった時に、アコーディオン奏者が現れ、一曲終わった後、男女二組の踊り手が現れ、情熱的な踊りを披露してくれた。DSC09819ダンス.JPG「歌の祭典」は、現在は、「歌と踊りの祭典」ということで、交互に一日おきに開催されていて、5年おきの祭りは、今年7月に開催されたそうである。帰りも歩いたが、余りにも忙しく、盛沢山だったので、印象が散漫になってしまったのが、残念だった。DSC09811散歩.JPG

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