トームペア 聖ニコラウス教会 バルチック琥波句旅日記⑱

第九日目(10月9日) 長かったような、バルト三国の旅も、観光は最終日である。この日も、天気はぐずつき気味で、傘を差しながらホテルを出たのだが、途中で気にならないような天気になった。最初は、上の町と呼ばれる、トームペアへ向かった。坂を登っていくと、左手にトームペア城、DSC09825お城.JPG右手にアレクサンドル・ネフスキー聖堂があった。DSC09827Aネフスキー聖堂.JPG城は、13世紀に造られた騎士団の城で、以後補強されて、現在のものは、バロック様式の宮殿が、国会になっている、とのこと。一方の、聖堂は、1900年まで、市場と薔薇園があった場所に、ロシアが、支配力を保持するような形で、宮殿の真裏に造った、ロシア正教の建物なので、エストニア人の眼からは、旧市街の景観に、馴染んでいない、と批判的だった。実際に、独立後に、取り壊しの話しもあったらしいが、気持ちの広いエストニア人は、このまま残すことにした、とのこと。どこか、お隣の国とは、真逆の方針で、さすがのエストニアだと思った。聖堂の中は、撮影が禁止だが、見学だけはできた。入って右手に、日露戦争で犠牲になった士官のプレートがあった。さらに進むと、上の町の天辺に、13世紀に、この町を最初に占領したデンマーク人が建てた、大聖堂(トームキリク)が、真っ白で、堂々としていた。DSC09831大聖堂.JPGもっとも、古いものは、17世紀の火事で焼けて、その後、100年をかけて再建された、ルター派の教会である、とのことだった。ただ、現在のエストニア人は、無宗教の人が多い、とのことだったが、冠婚葬祭は、どうしているのかと、思った。このまま、進むと、崖の上に出て、北の展望台だった。DSC09833展望台北.JPG下町の一部と、バルト海が良く見えていた。もう一つ、東の展望台へも行った。DSC09838展望台.JPGこちらは、真下に下町の旧市街が望めるので、タリンの代表的な景色になっているようだ。魔女の宅急便のモデルにもなったとされる、オレンジ色の屋根の波がきれいだった。下町への方へ下って行った。上の町と下町との境には、城壁と城門があり、戦術的な意味もあるのだろうが、騎士団とバトル商人との、微妙な対立も、垣間見るような気がした。塔の一つは、「台所ノゾキ」の異名のある塔で、下町を監視したのかしらん、と思った。
城門をくぐると、デンマーク王の庭、と呼ばれる、踊り場みたいな場所に出た。DSC09850デンマーク王の庭.JPGここにも、幽霊話があったが、割愛する。ここから、下町へは、一気に階段(昔は、石畳の急な坂道)を下ると、聖ニコラウス教会の側まで、降りてきた。この教会は、船乗りの聖人である、聖ニコラウスを祀った教会で、13世紀に、下町ドイツ商人地区に建てられた教会だった。DSC09854聖ニコラウス教会.JPG二次大戦で、ソ連の爆撃に遭い、ほとんどが破壊されたとのこと。DSC09868廃墟.JPG教会内に、写真があったが、壁の一部が残っているだけで、ほとんど、復元したといった方が、正しいと思う。今日ソビエト圏では、多くの宗教施設が、宗教博物館になっていることも多いが、ここエストニアの歴史ある教会も、博物館になっていた。中には、戦争疎開していた、「死のダンス」という、15世紀の絵画と、「聖ニコラウス教会の、観音開きの主祭壇」が重要な展示物だ、という話だった。ただ、ガイドが、無神論者なので、客観的な、簡単な説明しか、聞けなかったようだ。DSC09859死のダンス.JPG「死のダンスの方」は、黒死病と関係があるとのことだった。ガイドブックによれば、もともとは長大なもののうち、法王、皇帝、枢機卿など、お偉いさんたちの部分7.5mばかりが遺されているらしい。お偉いさんたちと手をつないでいるのは、死神や骸骨で、有名な部分は、冠を被って踊っている皇女である。DSC09862主祭壇.JPG「主祭壇」の方は、16枚の画が描かれていて、左側8枚が聖ニコラウスの生涯、右側8枚が異教徒と戦った聖ヴィクトルの生涯とのことだが、右側は、けっこう衝撃的な場面が多かった。エストニア人は、日本人に似ていて、幽霊話が何回も出てきたが、そのうちの一つは、悪魔が出てくる話で、見てはいけない(死んでしまう)ものを、知らない使用人が見てしまって、主人の身代わりに死んだ、という中世の幽霊話の建物があった。

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