トラカイ城 バルチック琥波句旅日記④

 三日目(10月3日) 雨の国リトアニアは、今日も雨だった。最初の見学地は、トラカイ城だった。郊外への途中で、テレビ塔を見た。独立戦争時、世界が湾岸戦争に目が注がれている隙に、ソ連保守派が、リトアニア独立の芽を摘み取ろうとして、侵入したのだが、その時に、14人の、民間人が犠牲になった、とのことだった。さて日本でいえば、晩秋の雰囲気のリトアニアの街道を30分ほど走って、トラカイに着いた。リトアニアは、森が3割を占め、湖(氷潟湖)も多いので、森と湖の国でもあるらしい。確か、フィンランドも森と湖の国だった、と思いながら、よくよく考えたら、フィンランドでは、ヘルシンキの観光しかしなかったので、リベンジをしたような、妙な気持ちだった。そう思えば、ヘルシンキからサンクトペテルブルクへの道中の景色が、とても似ていたように感じた。トラカイは、湖に挟まれた半島の中にある小さな村で、かつ、カライメと呼ばれる、少数民族の村だった。リトアニアを大国にした、ゲディミナス大公が、自身の警備のために、トルコ系の少数民族を、この地に連れてきて、以来、子孫の人たちが、民族としての、アイデンティティを守りながらこの地に住んでいるそうである。通りに面した、三つの窓がその象徴で、左が自然を表し、真ん中が神を表し、右が家族を表している、との説明だった。DSC09259三窓民家.JPGユダヤ教と、自然崇拝が融合した、独特の宗教で、リトアニアの他には、イスラエルにそれなりの数の人が住んでいる、との説明だったので、やはり、迫害を受けたのかもしれないと思った。

トラカイの村の中には、カライメ民族の宗教礼拝所(シナゴーク)があったのが、珍しかった。トラカイ城は、湖の島に造られているので、木の橋で渡るのだが、中央のあたりは、いかにも修復された感じが強く、それに比べれば、左右の櫓は、昔の部分が残っていたようで、古色が感じられて良かった。DSC09264トラカイ城アップ.JPG10:00オープンなのに、人がいるので、不思議だ、と思ったら、中にいる人は、更に不思議で、中世の衣装を着ていた。ドイツ辺りで流行っている、中世の衣装を着た観光客かとも思ったが、実際は、映画の撮影で、中には、その時代を模した、オープンセットも造られていて、実際に、撮影もしていた。DSC09295撮影.JPG城は、軍事エリアと、大公の、住居エリアとに分かれていて、我々は、その住居エリアを見学した。二階から上は、修復されていたが、十字軍の活躍した中世の城(トラカイ城は、十字軍の敵側)なので、前々回の、キプロスでの、十字軍の城を思い出して、興味深かった。あちらの方は、そのままの遺跡なのに対して、こちらは、修復して、再現し、資料も並べられているので、より、中世の感じがつかめて、良かった。それにしても、中世(14世紀)の甲冑というものは、自分で、着ることもできない、という代物で、役に立つのか、と不思議に思った。時代は、少し下る(200年前)のだが、銀貨をそのままに利用した、お皿やカップのようなものが、とても珍しかった。DSC09276銀貨器.JPG15世紀の、フレスコ画もあったらしいが、16世紀に、城が壊されて、ほとんど残っていない、とのことだった。王の間(大公の間じゃないかと思うのだが)にも、映画のセットが置かれていて、なかなか臨場感が出ていて、良かった。DSC09280玉座.JPG修復が始まったのは、1902年からだそうなのだが、途中に二度の大戦をはさんでいるので、本格的な補修は、1961年からだそうで、1967年に完成した、との解説があった。帰りに、ハプニングがあり、30分ほどロスして、カウナスへ向けて出発した。

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