バルチック琥波句旅日記⑳ バルト三国の旅エピローグ

エピローグ(10月10日以降) この日は、吉野さんがノーベル賞をもらったのだが、我々は、このことを知る由もなく、出発した。関東には、台風19号接近のニュースはあったが、ギリギリ間に合いそうだった。モスクワの待ち時間は長かった(約6時間)が、旅行記を書くのと、コーヒーブレイクを楽しんだので、買い物をする間もなく、乗り継いだ。カフェの椅子は、座り心地が良く、退屈はしなかった。モスクワからの帰りは、予定よりも早く成田に着いた。やはり、台風の余波で、それなりの雨が降っていたが、後半は小雨になり、いつもの菖蒲PA経由で、帰宅した。翌日は、大風19号が荒れまくり、東日本が大変な中、翌々日には、ラグビーW杯で、日本がスコットランドに快勝、ベスト8に快進撃した。
千畝氏への想いで、バルトの地へ行った。ヨーロッパから見て、異郷の地にあたるバルトは、思いのほか雨と森とが多く、自然を大切にすることなど、日本と似ているところもあった。日本から見て、バルトの三国は、似たような兄弟にも見えるが、実際に旅してみると、結構個性もあり、情熱的なリトアニア、クールなエストニアに対して、コスモポリタン的なラトビアというのが、自分の感想だった。特に、ラトビアは、ラトビアとしてのアイデンティティに乏しく、リガという国際自由都市と、クールラント公国(ルンダーレ宮殿)という日陰の国とが観光の目玉で、ラトビア的なものは、ラトビアライフル大隊のモニュメントというのが、皮肉に思えた。予想外の収穫としては、十字軍の裏側の事情が何となくつかめたこと、新旧のキリスト教の微妙さが見えたこと、ロシア型社会主義の一端を垣間見たことなどだった。トーマスマンの「トニオ・クレーゲル」を事前に読んできたことは、大ヒットだった。ユダヤ人は、今回の旅の、隠れテーマみたいなものだったが、彼の最愛の妻もユダヤ人だった。そして、彼が愛したバルチック海が、とても良かった。クルシュー砂州からの荒波のバルト海、DSC09378バルト海.JPGサーレマー島パンガの断崖からのバルト海、DSC09680パンガ断崖.JPG同じくクレッサーレ城門からのバルト海、DSC09703アップ見える.JPG最後にタリンの街から眺めたバルト海、DSC09838展望台.JPGどの眺めもロマンチックだった。この地から、はるばる対馬海峡を越えてきたバルチック艦隊の末路は、敵ながら哀れだった。一方、希望の鉄路として、カナウス駅のロシア広軌鉄道の幅の広さが、印象的だった。当初は、杉原史跡としての旧日本領事館に期待をしていたのだが、慌ただしく、自分的には、旧領事館の木立のある周りの佇まいと、旧領事館の窓からの眺めが、強く印象に残った。DSC09303窓.JPGトータルとしては、黄葉のカナウス駅の雰囲気が、筆舌に尽くしがたく、後光を放っているような感じを持った。DSC09323駅と黄葉.JPG 

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